六駅分のエトセトラ

家からオフィスまでの六駅で綴る何らかの文

店内全面禁煙

「たばこ吸っていい?」という質問が嫌いだ。

 

あの質問をする人間というのは、往々にして「当然承諾してくれるだろう」と考えており、「いいよ」以外の回答など存在しないかのように振舞ってくるからだ。奴らは、必ずたばことライターを用意しながら聞いてくる。こちらに選択肢を与えないように。

 

あの不快な悪臭を放つ煙を他人に吹きかけることが、あたかも生まれ持って与えられた当然の権利であるかのように振る舞うのだ、奴らは。なぜ貴様の快楽のために悪臭を我慢せねばならんのだ。今すぐその臭い巻紙を捨てろ。IQOSでも臭いもんは臭い。全部捨てろ。

 

まあ、聞かないよりはいい。何も聞かずに突然吸い始めるよりマシなのは確かだ。

 

しかし、ベストは吸わないことである。あるいは隔離された喫煙所で吸うことだ。

 

そもそもたばこを吸うことの目的は単なる快楽の追求であり、気分が良くなるから、やめられないから吸っているものだ。吸っていることを人に自慢できるようなものではまるでないし、むしろ恥ずべきことである。

 

現在の日本の法律がそうなっているから、覚せい剤中毒は警察に捕まるが、ニコチン中毒は捕まらない。それだけのことである。

 

2020年の東京五輪に向けて、全ての飲食店が店内全面禁煙にしなければならないらしい。

 

楽しみで仕方ない。

あなたの食卓になりたい🎵

牛丼というのは、因果な食べ物である。

 

ひとたび街に出れば、あっちに吉野家、そっちに松屋、振り向けばすき家。あちこちに牛丼屋が点在している。(なか卯のことも忘れてはいけない)

 

街中に点在する牛丼屋からもわかるように、牛丼という食べ物は日本人にとってごく日常的な食べ物であり、ハレとケで言えば圧倒的にケであり、毎日でも紅しょうがをたっぷり載せてワシワシ食べられるシロモノなのだ。

 

そのため、価格は安い。大変に安い。あれ、1杯380円とかなのだ。ちょっと前は280円だった。圧倒的に安い。うまい棒ですら28本しか買えないし、なんなら最近は11円のところが多いから25本しか買えない。うまい棒25本などと言ったら、ハロウィンに訪問してきた子どもにあげようものなら、最近の目が肥えたガキどもは仮装を脱いでサッサとおいとまするだろう。

 

牛丼は安い食べ物である。

 

しかし、ちょっと冷静に考えてみると、牛肉というのは一般的に高いものだ。スーパーの精肉売り場に行けば、鶏肉、豚肉より牛丼の方が高いという事実を、10円安い卵パックのために5km先のスーパーに赴く目の肥えた主婦たちでさえ、至極当たり前のこととして受け止めているし、安い焼肉食べ放題に行けば、豚肉だけのコースが2500円なのに、牛肉も食べられるコースが3500円であるという事実に、牛のような胃袋を持った体育会系の学生たちは、一切何の疑問も抱いていない。そして奴らは豚肉を食らう。豚肉もうまい。うまければよいのだ。

 

そう、牛丼というのは、「高くて当然」の牛肉という食材をたっぷり使用した、「安くないとおかしい」料理なのである。

 

矛盾である。圧倒的矛盾。小学生でも鼻で笑うレベルの矛盾だ。

 

そりゃ、大手牛丼チェーンはライバル社の顔色を疑って値上げのチャンスを窺うだろう。だって、おかしいもん。一杯380円て。安すぎるもん。ワンオペしないと儲からないよ。そりゃ強盗も来るよ。

 

牛丼に限らず、世の中には「安くて当然」だと思われているせいで価格を上げられないものやサービスがわんさかある。その一方で、「高くて当然」と思われているおかげでえらい高く売ってもバカスカ売れるものもある。当然利益率にも雲泥の差があるわけだが、それぞれに違ったビジネスモデルがあり、どちらがいいとは一概には言えない。

 

ただ、安すぎるというのは、一時的には消費者は喜ぶが、長い目で見ればいいことではない。「いい」というのは誰から見た話なのかにもよってくるだろうと思うけども。

 

そして、僕は昨日も牛丼を食べた。牛丼はうまい。

 

ひとまず、うまいのでオーケーだ。

OTOTとANI

最近、トイレが快適だ。

 

ちょっと新しい商業施設や駅のトイレなんかに行こうものなら、ウォシュレットや温かい便座があるのは当然として、便座の消毒液からベビーベッド、水を流す音で用を足す音を消すやつ(最近は男子トイレにもたまにある)まで置いてある。遂には便座まで自動で上げ始めたし、喋るトイレもあるらしい。

 

その設備の多様さ、充実ぶりと言ったら、もはや怖いくらいである。(実際、勝手に開く便座は未だにちょっと怖い)

そんな感じなので、ついついトイレに長居しがちだ。汚いと言われればそれまでだが、スマホをいじり始めると止まらない。あっちの個室も、そっちの個室も、ケツ丸出しでフリックの嵐である。

 

駅や商業施設では、おそらくスマホをいじっているであろう輩のせいで、個室に長い長い列ができていることも珍しくない。

 

待っている人がいるとわかっている時は、スマホをいじるなど言語道断、さっさとウンコしてさっさと出るのが僕のつまらない矜持である。

 

ちなみに、奴らはノックすると意外と早く出てくる。片っ端からノックしまくろう。

 

さて、トイレがトイレでなく「便所」だった昔、そこはもっと汚く、怖く、不快なところだったと思う。

 

名作「となりのトトロ」を観ても、メイはサツキと一緒でないと、用を足せなかった。いくら仲のいい姉妹とは言え、わざわざ真夜中に姉を起こさないとトイレに行けないのである。相当に怖いのだ、あの家のトイレは。たぶんボットンだろう。スマホを落としたら一巻の終わりである。為すすべがない。アップルストアに電話する前にスマホの葬式の準備だ。

 

もしあの家のトイレが、温かい便座を勝手に開いて「おかえりなさい、今日はウンコですか?」とでも喋るようなトイレだったら、メイもウキウキで単独ウンコを楽しんでいることだろう。

 

こう言うと、あたかもトイレが快適になっていることを批判しているようだが、これは良い傾向ではある。排泄は人間のごく自然な行為だからだ。

 

下手に不快なイメージが根付くと、全国の小学校に「ウンコマン」が大量に発生し、全国の小学生が涙を流しながら便秘になってしまう。我慢はよくない。快適なトイレで、したい時はしよう。それが自然というものである。

 

今後ますますトイレが快適になると、人間の住居空間におけるトイレの占める面積は拡大し、いずれ人はトイレに住むようになるかもしれない。

 

3LDKが3LTKになる日も近い。

 

時間の都合上、少々話が飛躍した。

 

今日も元気にウンコをして、元気に会社へ向かう。

きり丸

タダほど高いものはない。

 

この言葉、なかなか言い得て妙である。

 

本当の意味での「タダ」というのはすなわち無償の愛だが、これはふつう家族からしか得ることはできない。

 

世の中で一般的に「タダ」と言われているものは、「タダより高いものがない」とまでは行かないものの、実際には「タダ」ではないことが多いのだ。

 

多くの「タダ」は、何らかのルートで対価を支払っているか、価値提供者の意図に反している──「フリーライダー」、あるいは「泥棒」と呼ばれることもあるが──かのどちらかである。

 

以下で二つのパターンを見て行こう。

 

①何らかのルートで対価を支払っている場合

 

例えば、公園の水道で飲む水は「タダ」だ。お金を払わずに、いくらでも飲むことができるし、いくらでも使うことができる。

 

しかし、公園を整備しているのは行政であり、その資金源は税金である。納税者である限り、あらゆる公共施設は本来の意味での「タダ」にはなり得ない。消費税、所得税、住民税、法人税、たばこ税……公園の水道の裏には、日々知らないうちに払っている税金がある。

そのことを思えば、出しっ放しにして遊ぶなど言語道断だ。いくらお砂場に溝を掘って水を流す遊びがとってもたのしいとはいえ、水道水は大切に使うべきである。

 

税金はこの「何らかのルートで対価を払っている」のパターンにおける一つの例だが、税金を払っている人間の数を思えば、自分に返ってくる「対価」はそれほど大きくはない。このパターンでより重要視するべきは、たとえば「◯◯カードに申し込めば今なら■■ポイントもらえる!!」だとか、そういうやつである。

 

クレジットカードを例に上げれば、ほとんどのクレジットカードには年会費がある。「初年度無料」の文言と雀の涙ほどのポイントで消費者を釣り、年会費と手数料で丸儲けするのだ。なかなかどうしてあくどい商売である。

 

まあ、便利だし、そういうビジネスだし、必要ない人は作らなければいいだけの話なので何の問題もないのだが。

一般的に「タダほど高いものはない」が意味するのは、こっちのパターンであることが多い。

 

②価値提供者の意図に反している

 

これはたとえば「マックのコンセントでスマホを充電する」とか、「スーパーの小さいレジ袋を大量にもらう」みたいなやつのことである。これ、普通に犯罪であることが多い。

マックは客にスマホを充電させるためにコンセントを設置しているわけではないし、スーパーには大量に豚バラ肉を買ったわけでもない客に大量の小さいビニール袋を寄付する義理はないのだ。

 

こっちのパターンはダメである。普通にダメなやつ。

 

…ということで二つのパターンに分けて「タダ」を考えてみたが、冷静に考えてみるとこの二つに分類できない「タダ」がいっぱいある気がしてきた。街中でもらうポケットティッシュの「対価」は限りなくゼロに近いし、丸亀製麺の天かすは食べ過ぎると医療費がかさむ。家の近くで野草を摘めば、夜ご飯のおかずはタダだ。天ぷらにすればだいたい食えるんだ、あいつらは。

 

「タダ」というシロモノ、タダものではない。

MOTTAINAI

食べ物を残す人の気持ちがわからない。

何しろ、現代人はなにかと食べ物を残しがちである。

 

ふとファミレスで周りを見渡せば、散々ペチャクチャ喋った挙句、大量の料理を残して去って行くママさんグループや家族連れが目につく。その甘ったるそうなパフェを食ってる胃袋があったら、目の前のスパゲッティを片付けろよ。なあ。まあおれもパフェ好きだけど。別腹だけど。

 

居酒屋に目を移せば、一次会でたらふく食った癖に、二次会では食べ切れもしない料理をバカスカ頼み、大量のぬるいビールと共に、大量の料理をドカンと残すオッサンの多いこと、多いこと。

 

あれ、マジで理解できないのだ。

 

何も、死んでもいいからとにかく全部食え、と体育会的マッチョ論を振りかざしているわけではない。食べ切れないなら仕方ないだろう。人間の胃袋には限界がある。

 

あっちこっちでマーライオンが出現しても店内が阿鼻叫喚の地獄絵図と化すだけなので、そんなに無理して食べなくてもいい。ただし次回来店時は、今回の教訓を踏まえて少なめにしてもらおう。それだけのことだ。

 

ダイエット中、というのもまあわかる。アレルギーがあるのも仕方ない。どちらも頼む前にご飯を少なめにしてもらうとか、アレルゲンが含まれていないか確認するとかしてほしいところだが、まあ理由があるので許せる。(僕が許さないからなんなのだという話ではあるが)

 

しかし許せないのは、意味もなく残す輩である。特に理由はないけど、なんとなく食べたくないから。食べる気が起きないから。そういった「理由にならない理由」で食べ物を残す輩が、マジで理解できない。

 

だって、もったいないではないか。単純に。もったいなくない?

 

食べ物を残すという行為に、彼らは罪悪感を覚えないのだろうか。大量に頼んだ料理に一度も箸をつけず丸ごと残すなど、ノーベル平和賞ワンガリマータイさんが白眼を剥いてぶっ倒れるレベルのもったいなさではないか。

 

何も食べ物に限った話ではない。家中の照明を点けっぱなしにしたり、歯磨き中に水を出しっ放しにする人は、電気代がかかるとか、水道代がかさむといった金銭的損得勘定の前に、「もったいない」と思わないのだろうか。

 

……思わないのだろう。きっと。

 

結局これは価値観の違いでしかないので、僕一人が(こんな誰も見ていない場所で)ワーキャー言ったところで誰にも影響は与えないし、仮に与えたところでそう簡単に変わるものでもない。

 

飲食店で残され捨てられて行く大量の料理を見ても、蚊の鳴くような声で「MOTTAINAIMOTTAINAI…」と虚ろにつぶやきながら、唇を噛み締めて耐える他ないのである。

 

そして僕は、今日も自炊でごはんを作りすぎて、一人フードファイトを始めるのだった。食べ切れなくて腐らせたら、もったいないもんね。

リアル鬼ごっこの原作がすごいらしい

日本人の苗字は実に種類が多い。なんかもう、死ぬほどある。何を隠そう筆者も相当に珍しい苗字をしているのだが、わけのわからない苗字が日本には死ぬほどある。どれだけあるんだよ。少し減らせ。

 

まあそれは置いておいて苗字の由来を考えたい。多いところから行こう。まずは田中だ。田中はわかる。田んぼの中だ。実に分かりやすい。きっとのどかな田園地帯に住んでいたのだろう。

 

山田も相当わかりやすい。山と田んぼが多い場所に住んでいたに違いない。山。田んぼ。カエルの鳴き声。青い空。いずれもクソ田舎丸出しのしょうもない苗字ではあるが、なんだか今度の夏休みには田舎に泊まりたくなってくるし、わかりやすさで言えばトップクラスだ。

 

あと、森や林なんかも言わずもがなである。木、木、見渡す限りの木。森林大国日本を象徴するかのような良い名前ではないか。花粉症患者は敬遠するかも知れないが、たくさんいるのもうなずける。戦後日本の植林政策を許すな。

 

しかしここで改めて苗字ランキングを見てみよう。一位は佐藤、二位鈴木。三位が高橋で、四位にようやく田中が出てくる始末だ。賢明な読者の方々ならもうお気づきであろう。そう、上位の苗字が遊んでいるのである。こんなところで遊び心を発揮するな。毛先を遊ばすな。

 

まあそれでも高橋はまだわかる。高い橋があったのだろう。村に。代々伝わる高い橋が。国土の8割近くを山岳地帯が占める国である。高い橋の一つや二つ、おおよその村にはあったのだろう。

 

しかしここに来て鈴木と佐藤は何だ。上位はもっとこう、ドンと構えとけ。田中を見習え。田中の安心感やばい。あいつ絶対田植え上手いし、多分パワプロも上手い。好きな食べ物聞いたら多分「おにぎり」だ。ゲームとか貸してくれるし、ああいう奴好きだよ、おれ。

 

一方の佐藤や鈴木はなんだ。調子に乗るな。なんだ佐藤って。佐の藤ってなんだよ。意味わかんねえよ。新種の花かよ。でもこの季節結構キレイかも。あと鈴木はもうドラえもんの首についてる奴がいっぱいなってる木しか思いつかないから出直してこい。

 

お前ら名前で目立とうとするな。結局かぶってるから。めっちゃ多いから。その苗字。日本でツートップだから。全く個性発揮できてないから。心に愛と書いて「心愛(ここあ)」みたいなもんだから。DQNがいっぱいつけすぎて、もはや全く個性的じゃなくなっちゃってるやつだから。

 

今からでも間に合うからもっとありがちな苗字に変えなさい。「草」とか。「土」とか「ドブ」とか。今風に「ビル」でもいいよ。そしたらほら、ビルゲイツみたいでカッコいいじゃん。金運上がるかもよ。

 

みたいなことを言ってると、全国数百万人を敵に回すのでダメである。絶対ダメ。

下手な鉄砲は数を撃っても当たらない

当ブログの更新頻度を見直そうと思う。

 

今までは、「とりあえず毎日やってみよう」というスタンスで更新を行なってきたが、15分で文章を書くというのはやはりなかなか難しいものがある。

 

テーマ選びも偏りがちだし、ちょっと表現に悩んでいたらタイムオーバー、ということも多々あった。

 

最近は特に、「眠い」というテーマの記事が増えすぎていた傾向があったし、クソみたいな記事が多かったと自負している。

 

ということで、当ブログの更新は、現在の平日毎日更新スタイルから、火曜と金曜の週2回スタイルに変更しようと思う。

 

下手な鉄砲も数打ちゃ当たるというが、もしその鉄砲を地面に向けて撃っていたら、いつまでたっても空飛ぶ雁を撃ち落とすことはできないだろう。

 

(週二回更新にすれば本当に「上手な鉄砲」が撃てるのかなどという無粋なツッコミをしてはいけない)

 

量より質に、方針を転換するわけだ。

 

量が減っただけで質が上がらないという結果だけはなんとしても避けたいので、気を引き締めてやって行きたいと思う。