六駅分のエトセトラ

家からオフィスまでの六駅で綴る何らかの文

楽しみにしていた方、すみません

昨日、更新を忘れた。

 

果たして気付いた人がいたのかは甚だ疑問ではあるが、ともかく平日は毎日更新し続けてきたこのしょうもないブログの更新を忘れた。

 

理由は単純で、昨日は朝から研修の関係でいつもと違うオフィスに出勤したところ、いつもと乗っている電車が違うせいで、完全に当ブログのことが頭からすっぽ抜けていたというのが実情である。

 

ルーティンというのはなかなか怖いものだ。慣れてくると何度も何度も繰り返し、当たり前のようにこなせるようになる一方で、何か条件が一つ変わると、途端にできなくなってしまう。

 

ところで、ルーティンというのは五郎丸選手の合掌のおかげで多少いいイメージもついたが、一般的にはあまり喜ばれないものである。

 

たとえば会社の朝礼がルーティン化してしまうと、ただ集まるということが目的になってしまい、手段の目的化、形骸化が進んでしまう。その結果として、情報を共有したり、マインドを再確認したりといった本来の目的を果たせなくなってしまう場合がある。(決して自分の会社でそのような事実があるというわけではない)

 

「何か一つ条件が変わると、それまで当たり前のようにできていたことが途端にできなくなってしまう」ということは逆に言えば、毎回何か条件を変えれば、ルーティン化せず、新鮮な気持ちで物事に取り組めるということに他ならない。

 

朝礼でも、毎回司会を変えるとか、集まる場所を変えてみるとか、そういう一工夫でルーティン化を避けられる場合があるのかも知れない。

 

翻ってすっかりルーティン化してしまっている当ブログに視線を移すと、幸か不幸か、もともと特に目的がないので形骸化のしようがない。

 

今後もガッツリルーティン化して、頭を働かせず、惰性で更新し続けて行く所存である。

ガリガリ君を取るか?睡眠を取るか?

今日はいつもより一時間以上早く家を出た!

 

理由は単純、昨日から急に忙しくなったので、朝のうちに色々と済ませてしまおうと思ったからだ!

 

早起きは気持ちがいい!

 

家を出ると、まちはいつもより静かだ!爽やかなそよ風!澄んだ空気!さえずる小鳥と「おはよう」とあいさつを交わして、電車に乗り込む!

 

まだ6時代!通勤電車はガラガラだ!ほれ見たことか!運良く座れたじゃないか!通勤の電車で座れたことなど、今まで一度もなかった!

 

これはハマるかも知れない!

 

早起きは三文の徳と、昔の人は言ったが!三文とは現在の貨幣価値でおよそ60円くらいだという!ガリガリ君一本しか買えない額だ!

 

もっと徳だろう!早起きはきっとオフィスは静まり返って、仕事が進む進む!僕は無音に近ければ近いほど集中できるタイプの人間だ!

 

たまに音楽を聴きながらとか、ファミレスでやる方が集中できる人とかいるだろう!あれはすごい!僕ならファミレスに行ったらついついココアを飲んでしまうので集中できない!ただしココアはガストに限った話だ!ガストのドリンクバーにはココアがある!カカオリッチココアだ!しかしガストのドリンクバーをガストのドリンクバーたらしめている一番の要因は何と言ってもあの野菜ジュースにあると僕は思うのだ!!

 

話を戻そう。

 

誰のために書いているのかわからないこの「六駅分のエトセトラ」も、ガラガラの車内では大変書きやすいことこの上ない!

 

どう考えてもメリットしかない!これからも、ますます早起きを励行して行こうではないか!

 

経験上、早起きをするコツは「早く寝ること」だ!

 

明日、何時に起きようか。

 

earth music & ecology

まるで目が横についた草食動物のように

視野は広い方がいいと思うんですよ。マジで。

 

いや、視野って言っても、そんな常にグローバルな視点からものを見ろって、言ってるわけじゃないんですよ。


だって、電気つけたり、シャワー使ったりする時に毎回毎回、地球温暖化による海面上昇のせいで国土の大部分を失おうとしている太平洋の島国に、思いを馳せてたら、体、持たないじゃないですか。

 

そういうことじゃなくて、たとえばお菓子の箱を開ける時に、最近の包装はよく考えられていて、開けやすく、かつ開けた後も自立するとか、半分食べたところで閉じられるようになってるとか、非常に便利になってますけど、そういう想定された開け方の存在を知らずに、力技で無理やり開封したら、損じゃないですか。シンプルに。

 

ちょっと例が悪かったかな。

 

じゃあたとえば仕事をする上で、隣の部署、ひいては隣の人が何やってるのかよくわかってなくて、実は他の人が何やってるのか知ってれば、もっと効率のいい仕事ができるはずだったとか、そういうのあるじゃないですか。多分。

 

視野を広げるっていうのは、知識を広げることとほぼ同義であって、選択肢を多く持つことに他ならないと思うわけですよ。

 

選択肢ってのは、たとえ最終的に選ぶものが同じだったとしても、少ないよりはとりあえず多い方がいいものでして。

 

チョコケーキとモンブランから一つ選んで、と言われて選んだチョコケーキと、チョコケーキとモンブランとショートケーキとフルーツタルトとベイクドチーズケーキとエクレアとプリンアラモードから一つ選んで、と言われて選んだチョコケーキって、全く同じではないと思うんですよね。

 

世の中には、案外チョコケーキとモンブラン以外にも色んなケーキがあるんだと思うんですよ。で、たとえばフルーツタルトをよく食べている人からしたら、何が珍しいの?普通のフルーツタルトじゃん、って感じでも、チョコケーキとモンブランしか知らなかった人からしたら、びびって漏らすレベルに美味しい、みたいな、そういうことがあると思うんですよね。

 

ということで、僕はチョコケーキの美味しさももちろん理解しつつ、もしかしたらどこかにフルーツタルトとか、プリンアラモードとか、その他もっと限りなく美味しい、あるいは死ぬほどまずい、色んなケーキがあると信じていて、それを選ぶかどうかは別として、結局チョコケーキに戻ってくるかも知れないし、その可能性は充分にあるんだけども、チョコケーキ以外の選択肢を、できるだけ多く知っておきたいと、僕はそう思うわけですよ。

考えうる未来

北朝鮮がまたミサイルを発射した。

 

前回と同じような時間、コース。何度も続けてみる悪夢のようだ。

 

関係国のボルテージも、ますます上がってきているように思える。考えうる最悪のパターンは、アメリカが北朝鮮に攻撃することだろうか。

 

そうなれば、日本も黙っているわけには行かないだろう。集団的自衛権というやつだ。

 

「日本のために戦ってくれる」アメリカ。「自らを護る部隊」であるはずの自衛隊が、これを援護することになる。

僕は比較的左寄りの思想を持っていると自負しているが、こればっかりは仕方がない。

 

何しろ、日本がこれだけ挑発されているのである。同盟関係にあるアメリカが北朝鮮を攻撃しているときに、指をくわえて見ているわけのはいかんともしがたい。

 

集団的自衛権が問題なのは、もっと権利を拡大解釈して、日本と全く関係ない国への攻撃に自衛隊が協力することになりかねないという点にあると認識している。今回の件は、それに当てはまらない。

 

それにしても、戦争は嫌だ。頼むから平和でいてくれ。

 

徴兵制がすぐに適用されることは考えにくいとは言え、日本が戦争に加担し始めれば、市民の生活にも何らかの影響が出ると思う。

 

防衛費が上がることで、他の社会福祉に割く予算は必然的に下がる。自衛隊の社会的立場も変わってくるだろう。テレビには日本人が敵兵を殺す様子が映し出されるのだろうか。ミサイルがいつ飛んでくるかわからないから、国が冊子か何かを作って一人一人に配布するかも知れない。

 

そんな未来は、迎えたくない。

 

何かできることはあるだろうか。

car car 🚙

今朝、カラスが鳴いていた。普段はあまり聞かないのだが、カーカーカーカーとやかましいほどだった。

 

大きな地震などの災害の直前に、動物が突然騒ぎ出したという話は結構ある。ナマズをはじめとして、家畜やペットが落ち着きをなくし、不審に思っていると直後に地面が大きく揺れた…、なんて話は世界中にあるようである。

 

では、今回のカラスはなんだろうか。

 

大方、「生ゴミがいっぱい積んであるから食べに行こう」くらいのもんだろう。

地震は嫌なので、そう思いたい。

 

しかし一つ不思議なのは、僕の住んでいる地域では今日は生ゴミを出す日ではないということだ。

 

いや、気にしないでおこう。生ゴミだろう。生ゴミに違いない。だってカラス生ゴミ大好きだもん。

 

そんなことより、カラスってよく見ると意外とかわいい。

 

全身真っ黒でなんとなく濁ったような声で鳴くからあまりいいイメージがないが、近くで見ると澄んだかわいらしい目をしている。黒い翼も太陽の光を反射して美しく輝く。カラスというのは美しい動物だ。

 

というか、美しくない動物などいない。有機物の懸濁駅をグルグルかき回して生まれたデロデロの"粒"のようなものが、途方も無く長い時間をかけて、多種多様な今の動物の姿になったのだ。この事実がすでに美しい。

 

トンボだって、オケラだって、アメンボだって、カラスだって、人間だって、マムシだって、ウミベリスカシカシパンだって、ハダカデバネズミだって、皆一様に美しいのだ。本当だ。

 

ゴミ捨て場の生ゴミをあさるカラスだって、よく見ればかわいいのだ。

 

まあ、地震さえ起こらなければ生ゴミが多少あさられるくらいのことは全くもってモーマンタイだ。美しいカラスよ、存分に生ゴミをあされ。現代人はなんでも捨てるから、きっとうまい部分も多い。スイカとか、まだ全然赤いのに捨てるしな。

今日から使えるガリガリ君メソッド

ガリガリ君は、考えてみればすごいネーミングである。

 

擬音語に「君」を付けただけ。至ってシンプルながら、名は体を表すを地で行く、非常にわかりやすいネーミングだ。

 

擬音語に「君」を付けるこのネーミング手法を、ここでは「ガリガリ君メソッド」と呼ぶことにする。

 

ガリガリ君メソッドに則って様々なものに名前をつけてみると、
焼き立てのクッキーは「サクサク君」、
新鮮なレタスは「シャキシャキ君」
となるだろうか。

 

やはり、名前だけでどんな食べ物なのか一瞬でわかる。機能的なネーミングである。

 

ここで、食品に限らず、さらには擬態語や「君」以外の敬称にも手を伸ばすと、世の中のものはほとんど全てにガリガリ君メソッドが適用できそうだ。

 

たらみのゼリーは「プルプル君」。
自動車はもちろん「ブーブー君」。
飛行機は「ビュンビュンさん」あたり、
自転車は「チリンチリン君」あたりが適切だろうか。
お気に入りの果物ナイフは「スパスパちゃん」だし、
仲間由紀恵は「サラサラ様」と呼びたい。

 

さて、面白くなってきた。どうやら、世の中にはガリガリ君メソッドで名前が付けられないものは存在しないようである。

 

しかも、ガリガリ君メソッドで付けた名前は、非常に親しみやすく、かわいらしい。口に出して呼びたくなる、楽しげな雰囲気だ。

 

これはつまり、あまり関わりたくないようなものや人も、ガリガリ君メソッドで名前を付ければ親しみやすくなるということではないだろうか。

 

子バエがたかる生ゴミは「プンプンさん」。
洗わなければならない使用済みの食器は「ドロドロちゃん」。
満員電車で音漏れさせている金髪の若者は「シャカシャカ君」。
それにキレているおばさんは「プンプンさん」。
夜の新宿をうつろな目で徘徊しているおじいさんはさしずめ「ウロウロさん」だろうか。

 

ほれ見たことか。親しみやすいことこの上ない。ガリガリ君メソッドは世界を平和にするのだ。

 

生ゴミとおばさんが同姓同名になってしまったことは、この際忘れよう。

親指が動く

毎日のように15分で何らかの文章を書いていると、面白いように一気に書ける時と、なかなか筆が進まない時とがある。

 

面白いように一気に書ける時は、だいたい何も考えていない。無意識に親指が動いている感じだ。眠い頭に、次から次へと言葉が浮かんでくるから、あとはそれを適当に繋げばいい。こういう時はだいたいしょうもないことを書いている。

 

対して、なかなか筆が進まない時はというと、これまた何も考えていない。ちっとも言葉が浮かんでこないのだが、頭が働いていないので、どうしようもない。こういう時も、内容は極めてしょうもない。

 

要は、頭が働いているかどうかと、内容のしょうもなさは、筆が進むか否かには関係ないということだ。答えが出てしまった。ああ、しょうもない。

 

ところで、「筆が進む」という表現を使っているものの、いま僕は、筆どころかペンさえも使ってはいない。元気に動いているのは左手の親指だ。上下左右、縦横無尽に動き回る親指が、何の役にも立たない、クソしょうもない文章をリアルタイムで紡ぎ出している。

 

考えてみると、「筆が進む」時に動いているのは親指だし、「筆箱」に入れるのはボールペンだ。「下駄箱」には革靴を入れ、「わらびもち」はジャガイモから作るし、「新幹線」はリニアができたらもはや新しい幹線ではないだろう。

 

言葉の名残りというのは面白いもので、一度その言葉が市民権を得ると、周囲の環境が変わってもなかなか変わらない。

 

というわけで、最近できた言葉で、未来は意味が通らなくなっているであろうものを挙げてみよう…と思ったのだが、最近新しくできた言葉がどうやらそもそもなさそうである。

 

最近できた言葉というのは、例えば「激おこぷんぷん丸」だとか、「草」だとか、「インスタ映え」だとか、「卍」だとか、ネットスラングも若者言葉もごちゃ混ぜだが、こういうものはみんな既存の言葉のツギハギであったり、言い換え、新しい意味付けによって生まれている。だから、さっき僕が試みたような、本来の意味と異なって使われるかも知れないような言葉の例は、この中から見つけるのが難しかった。

 

人口が減少し、経済が縮小して行くこれからの時代、リノベ物件やフリマアプリが市場を賑わせているのを見てもわかるように、新しいものを作るよりも、今すでにあるものを作り変えたり、再利用したりするのが昨今の流行りであるのは間違いない。

 

もしかすると、言葉の世界でも、そういう傾向があるのかも知れない。

 

今日は親指がよく動いた。