無意味な労働
最近、犬の散歩をさせている人はみなペットボトルを持っている。
暑くなってきたことだし、水分補給も大事だが、飲み物ではない。
マーキングを洗い流すための水だ。
飼い犬がマーキングをするたびに、ペットボトルの水で洗い流す。
最近は、飼い主としての当然のマナーとされているらしい。
僕はこれを見るたびに、悲しい気持ちになる。
マーキングとは、その名の通り縄張りを示すしるしをつける行為だ。
自分のにおいを強く発する尿を電柱や建物の壁にかけることで、ここまでは自分の縄張りですよ、ということを示しているのである。
だが、彼らのしるしは飼い主によってきれいに洗い流される。
飼い犬に、縄張りなど必要ないというのだろうか。
こんな話がある。人が入るほどの大きな穴を掘らせて、完成したらそれを埋める、ということを繰り返すことは、最も大きな苦痛をもたらす労働なのだという。
目的や意味のない行動に従事させられる使役者は、無力感に苛まれる。
これはれっきとした動物虐待なのではないか?
まあ、家の壁にくさいおしっこをかけられっぱなしにされたら僕はキレると思うし、わんちゃんたちも大体アホだから洗い流されてること全然気付いてないと思うから、まあいいのか。
わんちゃんはかわいい。