六駅分のエトセトラ

家からオフィスまでの六駅で綴る何らかの文

好きなタイプはみずタイプ

 

「好きになった人がタイプ」と言う人がいる。

 

あれは、全くもって原因と結果を混同していると思うのだ。

 

「タイプ」というのはここではすなわち「好み」であり、「好きになる人の性格、外見、趣味嗜好その他諸々の条件」を指している。

 

つまり、「タイプ」の人を「好きになる」わけである。

 

そうであれば、「好きになった人がタイプ」という表現は明らかに矛盾している。

 

「タイプ」の定義から考えれば、その人を「好きになった」のは、ひとえにその人が「タイプ」だったからである。

 

自分が明確に認識していないだけで、「タイプ」は必ず存在するはずなのだ。

 

つまり、「好きになった人がタイプ」とのたまう輩は、自分の「タイプ」を言葉で明確に表現することができないため、今までの恋愛経験に照らして帰納的に自分のタイプを表現するしかない、語彙に乏しい人間なのである。

 

もしくは、我々とは異なる独自の「タイプ」の定義を持っているか、どちらかだ。

 

何にせよ、こういうクソほどどうでもいいことをいちいち追求する男を「タイプ」とする女性は多くない、という事実は揺るぎないものだろう。

 

ちなみに僕のタイプは顔がちっちゃくてスラッとした人です。悪しからず。