六駅分のエトセトラ

家からオフィスまでの六駅で綴る何らかの文

現代人の親指に関する些細な考察

 

現代人は親指を使う生き物だと思う。

 

満員電車で周りを見渡せば、みなスマホの画面を親指でシュッ、シュッ、シュッ。

 

人差し指など他の指でスマホを操作する人はどちらかと言えば少数派で、親指さんマジ大活躍といった印象である。

 

人間の持つ長い歴史の中で、現代ほど親指が酷使されることが今までにあっただろうか。

 

30年前は、こんなに親指を使うのは指圧師くらいのものだったのではないだろうか。

 

スマホが圧倒的インフラデバイスとして台頭する現代は、まさに大親指時代である。

 

さて、親指というものを改めて眺めてみると、なかなかどうして不思議な立ち位置にいるではないか。

 

手の先っぽに仲良く並んだ人差し指〜小指とは一線を画し、一歩退いて彼らを見つめている。

 

その姿はまさに「親」。子供たちを見つめる聖母のような佇まいである。

 

「手で物を掴む」という崇高な目的のために、家族の元を離れて単身赴任。

 

ただただ物をホールドする、そのためだけに働いてきた健気な指だったではないか。

 

翻って今の親指の境遇を見れば、やれツイッターだの、やれまとめサイトだのの画面をスクロールするだけの、下らない仕事に従事させられている。

 

これを不憫と言わずしてなんと言うのか。

 

そんな親指に対する哀れみと敬意を表して、最後の一文を薬指を使って書かせていただくこととする。

 

すげー操作しづらい。