六駅分のエトセトラ

家からオフィスまでの六駅で綴る何らかの文

ケツを洗うか、それが問題だ

 

ウォシュレットをあまり使わない。

 

四月から念願の一人暮らしをしている僕は、幸い比較的築浅の物件に入れたおかげで、家のトイレにウォシュレットがついている。

 

しかし、一度も使ったことがない。

 

(家のウォシュレットを使ったことがないという意味で、試しに使ってみたことはある。念のため。)

 

これは個人的な価値観ではあるが、ケツをわざわざ水で洗う必要を感じないのだ。

 

トイレットペーパーだけで大満足みかんなのである。

 

「人々は、果たして本当にケツを水で洗う必要があるのだろうか?」

 

今日は、この重大な問題について考えてみることにする。

 

まず、文明が発達する以前、はるか昔のトイレ事情に目を向けてみよう。

 

昔のトイレは、基本的に二種類の方式に分類することができたと推察される。

 

川の流れに全てをお任せする方式と、穴を掘って土に還す方式だ。

 

この二つの形式それぞれを、今回に限りダイレクトリバー方式、バックトゥーザネイチャー方式と呼ばせていただこうと思う。

 

基本に立ち返り、この二つの方式を考察してみよう。

 

まず、ダイレクトリバー方式だ。

 

ダイレクトにリバーへカモンするため、用を済ますのは当然川のほとりになるだろう。

 

カモンした後、ケツを川の流れですすぐのは自然な流れと言える。

 

ダイレクトリバー方式は、ケツを洗う流派として発達して行ったはずだ。

 

一方でバックトゥーザネイチャー方式を考えてみると、ネイチャーにカモンした後、周りを見渡しても水の流れはない。

 

必然的にケツを洗うという発想は生まれず、近くにある葉っぱでケツを拭くか、素知らぬ顔で日常生活に戻るかのいずれかの対処を行うことになる。

 

つまり、バックトゥーザネイチャー方式は、ケツを洗わない流派として発達してきた。

 

さて、文明が発達し、人々が街を作り定住を行うようになると、ダイレクトリバー方式は不便になってくる。

 

水資源が多量に得られる川の近くの土地がなくなってくると、人々はバックトゥーザネイチャー方式の延長としてトイレという施設を作り、揃ってトイレでカモンするようになってきたはずだ。

 

そう考えると、現代のトイレの源流はバックトゥーザネイチャー方式にある。

 

後の時代に、衛生面を考慮した結果水洗トイレというものが生まれてくるが、それはあくまでもバックトゥーザネイチャー方式のトイレの延長線上にあると言える。

 

さて、懸命な方はもうお気付きだろう。

 

そう。我々は、ケツを洗わなくていいのだ。

 

トイレットペーパーで十分。歴史がそう言っている。

 

ちなみに、シングル派です。(ダブルはふわふわしすぎる)