六駅分のエトセトラ

家からオフィスまでの六駅で綴る何らかの文

下界の車窓から

都心で地下鉄に乗るという行為は、ほぼワープだと思う。地上を走る電車と違って、車窓から得られる情報がないからだ。自分がどこに、どんなところにいるのかがわからないから、途中経過をすっ飛ばし、乗った場所と降りた場所だけが意識の中に存在する。

 

ある地点で地下に降りて、乗り物に乗り、一定の時間が経過した後にまたある地点で地上に上ると、場所がガラリと変わっている。まるで魔法のような乗り物である。

 

地上を走る電車なら、そういうことはない。この駅と駅の間は閑静な住宅街で、この駅にはレトロな商店街があって。この駅にはオフィスビルが林立していて、この駅とこの駅の間で一瞬見える公園の雰囲気が好きで。あ、あそこのビル、工事中だったけど完成したんだ。

 

そんな感じで、車窓というのは、なんだかんだ結構楽しいものだ。そう考えると、トンネルの中、真っ暗闇に蛍光灯が等間隔に並べられた地下鉄の車窓は、あまりにももの寂しい。

 

誰か、地下鉄の車窓を変えてくれないだろうか。デジタルサイネージみたいな感じで、高速で動いていても認識できるような、なんらかの技術で、地下鉄の車窓に楽しみを作ってくれる人はいないだろうか。

 

広告の形は恐ろしいほどのスピードで変わり続けているし、そのくらいのことができても良いのではないだろうか。

 

…まあ、地下鉄の決して短くない歴史の中で、誰もやっていないところを見ると、コストが得られる利益に見合わないのだろう。新しいビジネスとは、多分往々にしてそういうものだ。

 

忸怩たる思いにくちびるを噛み締めながら、今日も暗く味気ない車窓を眺めてオフィスへと向かうのだった。