なぜ「なぜそうなっているのか」を考えないのか
みんな、もっと「なぜそうなっているのか」を理解した方がいいと思う。
そのことを最も思わされるのが、言葉の間違いだ。世の中の人、結構言葉を間違える。
例えば「意外」という言葉だ。この言葉、「以外」という言葉の同音異義語なわけだが、変換間違いが非常に多い。
「意外」を「以外」と変換する人が各所で散見される。間違いではなくミスの場合もあるのだろうが、明らかに故意に変換している人も少なくない。
そこで「なぜそうなっているのか」の理解である。と言ってもそれほど複雑な話ではない。単に言葉の意味を考えればいいというだけの話だ。
つまり、「意外」とは「意の外」、すなわち「思ってもいなかった」ということを表している。一方で「以外」は、「〜を以って外」であって、「ある境界線よりも外側」ということを表しているわけである。なぜその漢字が使われているのかという仕組みを考えれば、自ずと変換間違いをすることもなくなるだろう。
他にも、「確率」と「確立」にも同じような傾向が見られる。それぞれなぜ「率」と「立」という漢字が含まれているのかを考えれば、間違えることはないはずなのだ。
変換間違いではないが「永遠と」なんかもそうだし、「せざる負えない」に至ってはお前は助詞という概念を小学校かどこかに置いてきたのかと問いただしたくなる。
さて、ひとまず言葉を例に出してみたが、「なぜそうなっているのか」を考えるという姿勢はあらゆる場面で役に立つ。なぜ牛丼は他の外食に比べて圧倒的に安いのか。なぜ夏は暑いのか。なぜ地下鉄は時間通りに来るのか。
世の中の様々な物事を「当たり前」として受け入れるのではなく、「なぜそうなっているのか」を考えると、世の中の見え方が変わってくる。
そんなの疲れるだけじゃん、と思う人は、まずはなぜ僕がこんなことをわざわざ長々と書いているのかを考えてみてほしい。(暇だからです)