六駅分のエトセトラ

家からオフィスまでの六駅で綴る何らかの文

レム睡眠って結局どっちだっけ

このブログには致命的な欠陥があると思う。

 

朝は眠いということだ。

 

皆さんは果たしてご存知だろうか。朝は、超眠いということを。

 

そう、朝、超眠いのである。

 

そもそもこのしょうもないエッセイは、家の最寄駅から会社の最寄駅まで6駅、およそ15分の道のりで何らかのしょうもない文を書くというコンセプトで始まったしょうもないサムシングであるからして、朝書かなければならないのは当然と言えば当然なのであるが、しかし眠いものは眠い。

 

そもそも、睡眠時間が足りないのだ。現状おおよそ5時間半から7時間くらい寝ているが、ほんとうは8時間は寝たい。欲を言えば10時間くらい寝たいと思っている。

 

僕は昔から基本的に常に眠い人間で、まあそのくせ朝練がある部活に入っていたりもしたのだが、高校の時なんかは隣の人に寝顔を見られないよう机の端に教科書を山のように積んで、タオルを敷いて教科書側を見るように突っ伏して寝ていた。

 

今思えば失礼な話だが、先生によって眠くなる話し方の人、ならない話し方の人、眠くても頑張って聞いた方がいいと思う内容の授業をする人、そうでもない人がいて、世界史なんかはそれはそれは気持ちよく爆睡させてもらっていたものである。

 

そうして授業中寝まくったせいで、化学の酸化数の話で完全に意味がわからなくなった時の焦りは印象的だった。(後で教科書を必死に読んで頑張ってキャッチアップした)

 

言うまでもないが、大学の授業も鬼のように寝ていた。でも出席はするのだ。寝るくらいなら家で寝ろよ、という意見もあるかも知れないが、たとえ寝たとしてもとにかく出席しておくことでなんとなく授業の流れがわかるというのが僕の理論であった。

 

忙しい研究の合間を縫って授業の準備をして下さっている教授の皆さんにする言い訳は特にない。すみません。

 

さて、僕はいままで二十数年生きてきた中で、二つのモットーを大事にしてきた。「やる気が出ない時はやらない」と、「眠い時は寝る」ということである。これは人間をやる上で非常に重要なことだと僕は思っている。

 

しかし、社会人になった今、このモットーは二つとも守れずにいる。特に、後者が全く守れないのだ。僕は基本的に常にやる気に満ち溢れている人間なので、多少やる気が出なかったところでちょっと気合を入れればすぐに復活するのだが、問題は眠気である。

 

眠気はちょっと気合を入れても飛んでいかないのだ。これは困った問題である。

 

しかし考えてみれば、たとえば大学受験の勉強に対するやる気なんかは、決して最初からあったわけではなく、文化祭が終わった九月中頃、このままだと絶対に落ちるという危機感から、半ば強制的に発生したエネルギーだった。

 

そう考えてみると眠気の方も、強制的に取り去ることは可能なのかも知れない。社会人生活が僕にとってまだそこまでの危機感を持っていないということか。

 

だいぶ話がずれてしまった。今日は何の話だったかと言えば、「朝は眠い」ということだったはずだ。

 

「朝は眠い」。しかし、圧倒的な危機感を持っていれば眠気など吹き飛ぶ。それが今日の結論と言えるだろう。

 

大事な会議の日とかね。まあ、当たり前のことか。

 

とりあえずコーヒーでも飲もうか。