六駅分のエトセトラ

家からオフィスまでの六駅で綴る何らかの文

説明責任を果たせ

「理解する」ということは、「人に説明できるようになる」ということである。

 

学校の授業、朝のニュース、料理のレシピ、何でもそうだ。

 

話を一通り聞いて、何となくわかった気になっていても、じゃあ結局それどういうことなの?と説明を求められると、しどろもどろになってしまう場合が多い。

 

逆に言えば、説明できるようにしておくと、理解が非常に早く進む。

 

たとえば、朝刊の一面を五分間読んだとして、ただなんとなく読むのと、そこに掲載されていたニュースをまとめて後で誰かに説明するつもりで読むのとでは、頭への入り方が全く違う。

 

一度やってみるとよくわかるので、ぜひ試してみてほしい。

 

さて、なんとなく理解した気になっているだけの状態と、人に説明できるようになっている状態の最も大きな違いは、主体性である。

 

主体性を持って物事に取り組むことは、理解への近道なのだ。

 

ところで、丸覚えという方法もある。これは、「人に説明する」という点では条件を満たしている。

 

しかし、「理解している」とは必ずしも言いがたい。丸覚えするためには何度も何度も読む必要があるので、結果的に理解できていることもあるかも知れないが、主体性なくただ内容を丸覚えするというやり方は、定着しにくく、短期的な記憶に終わりやすい。

 

自分の知識、経験として身につくようなインプットをするためには、やはり人に説明できるように「理解する」ことが大切である。

 

以上が、僕の持論だ。

 

ということで、結局今日の記事はどういう内容だったのだろうか。

 

説明してみてほしい。