六駅分のエトセトラ

家からオフィスまでの六駅で綴る何らかの文

どこかで誰かが死んでいる

北朝鮮がミサイルを
撃ったらしい。
朝のニュースは
ミサイル一色だった。

 

今回は北海道を通り過ぎて
太平洋に落ちたが、
もしこれが街に落ちていたら、
多くの人が死に、
戦争が始まり、
さらに多くの人が
死んでいたのだろうか。

 

そんなことが
あってはならない。

 

戦争反対だ。

 

「戦争反対」というのは、
「お腹が減った」と
同じくらい根源的な
欲求だと思う。


死にたくない。
誰かに死んでほしくない。
そう思うのは
至極当然のことだ。

 

自衛隊を持つかどうかとか、
憲法改正するかどうかとか、
安保がどうとか、
集団的自衛権とか、
それ以前に、
戦争はしたくない。

 

自衛隊の隊員の人にも
家族がいるんだから、
死んでほしくない。

 

恐ろしい戦場ではなく、
平和な街で生きていきたい。

 

そう願うのは当然のことで、
今そうなっているのは
幸せなことである。

 

しかし、
僕の願いとは関係なく、
世の中というのは
回って行くもので、
もしかしたら
明日にも戦争が
始まってしまうかも
知れない。

 

それはとても辛く、
悲しいことだ。

 

平和的解決を祈ることしか、
僕にはできないが。