六駅分のエトセトラ

家からオフィスまでの六駅で綴る何らかの文

「写経」と呼ばれる宿題は総じてクソだ

先日、こんなツイートが話題になっていた。

 

https://twitter.com/i_i_captain_/status/900549083256901632

(埋め込み方がわからないので誰か教えてください)

 

妹の宿題で、生物の用語とその定義を写経のように何度も書かせるというものだ。

 

ツイート主は、「あまりにもかわいそう」「よく中学教員になれたな」とこき下ろしている。

 

確かに、この宿題を出されたら僕はキレると思う。「生徒はコピー機じゃねーぞ!?!??」などと言って、死ぬほど汚い字で書き殴るか、そもそもやってこないかも知れない。納得行かないものに無駄な労力をかける必要はない。あ、でも中学だから内申点取らないといけないのか…。やらないとアカンのか…マジで内申点はクソ。あの制度早く潰せ。

 

ただ、「書く」というのが知識を定着させるのに非常に有効な手段であることは確かだ。黙読するよりも音読した方が、音読するよりも書いた方が知識は頭に入る。何らかの動作を伴った方が、印象的に記憶に残るのだ。

 

しかし、この宿題はやはりまずい。思考停止状態になってしまうからだ。同じ「書く」でも、ただ機械的に書き連ねるのと、内容を考え、理解しながら書くのとでは、理解の深さに天と地ほどの差がある。

 

結論として、この宿題は全く意味がないとまでは言えないものの、やはり限りなく無意味に近いと言えそうである。

 

それにしても、生物の単語を見ていたら、懐かしい気持ちになった。僕はもともと理系の生物選択である。昔から植物が好きで、高校の頃一番好きだった科目は生物だった。今でも水と緑が大好きで、常に自然と戯れるチャンスを窺っているような人間だ。(10月末には紅葉のキレイな山に行く予定だ。楽しみすぎる。)

 

やりがいのない宿題で、中学生が生物を嫌いになってしまわないことを祈る。