六駅分のエトセトラ

家からオフィスまでの六駅で綴る何らかの文

「老害」って言葉も嫌い

若さとは相対的なものである。

 

若さをはかる絶対的なものさしは存在しない。

 

我々はそのことを常に自覚しておくべきである。

 

小学一年生をお世話する六年生は「お兄ちゃん」「お姉ちゃん」と言われるし、

 

4年生の女子大生は冗談めかして自分のことを「ババア」と卑下する。

 

「アラサー」という言葉の与える印象が年代ごとに全く異なることは容易に想像できるし、

 

高齢化が進んだ地方のとある村では、還暦を迎えたばかりの人は「若手」であるという。

 

つまり、その人が「若い」か否かは、常に周囲と比較して相対的に決まるものであって、ある年齢から若い、ある年齢から若くないと一概に決められるものではない。

 

当たり前のことだと思われるかも知れないが、身を置くコミュニティが限定されていると、意外と忘れがちな事実である。

 

年齢層の異なるコミュニティに入れば、自分の若さに対する評価は180°変わる可能性があるということを、我々は常に自覚していなければならないと思う。

 

まあ、単に僕がたかが20歳そこそこで変に老人ぶる大学生を嫌っているだけかも知れないが。