六駅分のエトセトラ

家からオフィスまでの六駅で綴る何らかの文

きり丸

タダほど高いものはない。

 

この言葉、なかなか言い得て妙である。

 

本当の意味での「タダ」というのはすなわち無償の愛だが、これはふつう家族からしか得ることはできない。

 

世の中で一般的に「タダ」と言われているものは、「タダより高いものがない」とまでは行かないものの、実際には「タダ」ではないことが多いのだ。

 

多くの「タダ」は、何らかのルートで対価を支払っているか、価値提供者の意図に反している──「フリーライダー」、あるいは「泥棒」と呼ばれることもあるが──かのどちらかである。

 

以下で二つのパターンを見て行こう。

 

①何らかのルートで対価を支払っている場合

 

例えば、公園の水道で飲む水は「タダ」だ。お金を払わずに、いくらでも飲むことができるし、いくらでも使うことができる。

 

しかし、公園を整備しているのは行政であり、その資金源は税金である。納税者である限り、あらゆる公共施設は本来の意味での「タダ」にはなり得ない。消費税、所得税、住民税、法人税、たばこ税……公園の水道の裏には、日々知らないうちに払っている税金がある。

そのことを思えば、出しっ放しにして遊ぶなど言語道断だ。いくらお砂場に溝を掘って水を流す遊びがとってもたのしいとはいえ、水道水は大切に使うべきである。

 

税金はこの「何らかのルートで対価を払っている」のパターンにおける一つの例だが、税金を払っている人間の数を思えば、自分に返ってくる「対価」はそれほど大きくはない。このパターンでより重要視するべきは、たとえば「◯◯カードに申し込めば今なら■■ポイントもらえる!!」だとか、そういうやつである。

 

クレジットカードを例に上げれば、ほとんどのクレジットカードには年会費がある。「初年度無料」の文言と雀の涙ほどのポイントで消費者を釣り、年会費と手数料で丸儲けするのだ。なかなかどうしてあくどい商売である。

 

まあ、便利だし、そういうビジネスだし、必要ない人は作らなければいいだけの話なので何の問題もないのだが。

一般的に「タダほど高いものはない」が意味するのは、こっちのパターンであることが多い。

 

②価値提供者の意図に反している

 

これはたとえば「マックのコンセントでスマホを充電する」とか、「スーパーの小さいレジ袋を大量にもらう」みたいなやつのことである。これ、普通に犯罪であることが多い。

マックは客にスマホを充電させるためにコンセントを設置しているわけではないし、スーパーには大量に豚バラ肉を買ったわけでもない客に大量の小さいビニール袋を寄付する義理はないのだ。

 

こっちのパターンはダメである。普通にダメなやつ。

 

…ということで二つのパターンに分けて「タダ」を考えてみたが、冷静に考えてみるとこの二つに分類できない「タダ」がいっぱいある気がしてきた。街中でもらうポケットティッシュの「対価」は限りなくゼロに近いし、丸亀製麺の天かすは食べ過ぎると医療費がかさむ。家の近くで野草を摘めば、夜ご飯のおかずはタダだ。天ぷらにすればだいたい食えるんだ、あいつらは。

 

「タダ」というシロモノ、タダものではない。