六駅分のエトセトラ

家からオフィスまでの六駅で綴る何らかの文

CNP問題について

 

「カレーと肉じゃがは途中まで作り方が一緒である」

 

よく言う話だ。

 

なるほど確かに、肉を炒め、適当に切ったにんじん・たまねぎ・じゃがいもを投入し、水を入れるところまでは全くもって一緒である。

 

ここにカレールーを入れるか、だしで味を整えるかで、彼らの運命は大きく変わることになる。

 

水を入れた時点の鍋の中身は、カレーと肉じゃがという二つの可能性を持っているわけだ。

 

ここで、水を入れた時点の鍋の中身を、「カレー・肉じゃが前駆体(Curry-Nikujaga Precursor)」と呼ぶことにする。(以下CNP)

 

CNPは、カレーにも肉じゃがにもなり得る、多能性を獲得した料理である。

 

ここで、CNPのFR(最終料理名:Fainal Ryourimei)がどのタイミングで決定するのかを考えてみよう。

 

例えば、カレールーを規定量の半分入れたとする。

 

かなりシャバシャバで味が薄いだろうが、食べた人には「かなりシャバシャバで味が薄い"カレー"」として認識されるだろう(FR=カレー)。

 

では、規定量の四分の一のカレールーと、和だし、醤油で味を付けたらどうだろうか。

 

「カレー風味の肉じゃが」として認識する人もいれば(FR=肉じゃが)、「和風スープカレー」として認識する人もいるだろう(FR=カレー)。

 

すなわち、その料理のFRは外見や味、材料によって一意に定まるものではなく、食べる人によって恣意的に定められるものであるということである。

 

ところがここで、一つの問題が発生する?

 

自分が今までカレーだと思って食べていたものは、果たして本当に「カレー」なのかという問題である。

 

カレーをそのまま肉じゃがに置き換えても同様だ。

 

自分が肉じゃがだと思うものが、誰にとっても肉じゃがであるとは限らないのである。

 

長らく近代精神科学の最重要課題とされてきたこのCNP問題だが、近年大きな動きがあった。

 

「ポトフ」という可能性が指摘されたのである。

 

以前にも「ハヤシライス」「煮物」などのカレー及び肉じゃがと似通ったFRの存在は示唆されてきたが、ほぼ同値であるとして問題とされてこなかった。

 

しかし、全く新しい概念である「ポトフ」の出現は、CNP問題を扱う一部の精神科学者の間で、極めて衝撃的なニュースとなったのだ。

 

今も、CNP問題を研究する科学者は少なくない。

 

答えは、あなたの鍋の中にある。