六駅分のエトセトラ

家からオフィスまでの六駅で綴る何らかの文

ゴリラゲイ雨

名前とは怖いものだ。

 

名前を持っていなかった「あるもの」に名前を付けると、「あるもの」のことをなんとなくわかったような気がしてしまう。そして、「あるもの」に近いもの、似たものを一まとめにして同じ名前で呼ぶようになってしまう。

 

たとえば少し前に流行った「森ガール」という言葉。「森にいそうな感じの、ナチュラル・オーガニックな雰囲気の女性」とでも言えるその言葉は、もともとそのような服装をしていたひとたちをまとめて「森ガール」にしてしまった。彼女たちが、自分は「森ガール」だと思っているかは関係ない。

 

また、近年完全に市民権を得た感のある「ゲリラ豪雨」もそうだ。「特に夏季きに多い、局地的に突然激しく降る雨」とでも言うべきその言葉は、伝統的に「夕立」と呼ばれていたものではないか。もちろん、様々な気象条件が変わってきている現代、以前は見られなかったような雨の降り方が増えていて、それらにユニークな名前を付けた方が種々の場面で便利だったという事情はあるのかも知れない。

 

しかし、夏の夕方、突然雨に降られて屋根の下に逃げ込んだ高校生が、「夕方やべー!」ではなく、「ゲリラ豪雨やべー!」と言っているのを見ると、彼らは夕立という言葉を知った上で、ゲリラ豪雨と表現しているのだろうかと、少し気がかりになったりもする。

 

よほど異常な降り方でない限り、僕は「ゲリラ豪雨」ではなく「夕立」と呼びたい。そして、これはゲリラだ、誰がどう見てもゲリラの豪雨だ、そう思った時に、満を持して「ゲリラ豪雨」を使いたい。

 

そうでもしないと、夏の生ぬるい空気を端的に表現している美しい日本語たる「夕立」は、完全な死語になってしまいそうである。