六駅分のエトセトラ

家からオフィスまでの六駅で綴る何らかの文

日常に潜んでいるかも知れないパラドックスの話

自転車というのは、考えてみれば不思議な乗り物だ。

 

だってタイヤが二つしかないのだ。三輪車はわかる。任意の3点で平面が一意に定まることは高校数学で誰しもが習っただろう。三輪車はタイヤが三つあるので平面が一意に定まる。つまりグラグラしない。安定しまくり。幼児、運転しまくりである。

 

一方の自転車だ。あれを作ったやつはおそらく高校数学もまともに受けていないのだろう。自転車、グラグラしまくりである。だって2点しか支えてないから。一輪車に至っては1点だが、この際一輪車のことは忘れよう。一輪車と言えば小学校の頃、学校のピロティに竹馬と一輪車が置いてあったが、なぜか男子は竹馬、女子は一輪車という風に性別で好みが分かれていたものだ。

 

背丈ほどの高さにステップを固定し、曲芸のような竹馬を披露して得意になっているやんちゃ坊主を横目に、膝くらいの一定の高さでいかに素早く動けるかを研究していた覚えがある。あれ今思い返すと結構危なかったな。今もあるのかな。ピロティ。

 

いや、一輪車はいいのだ。と言うか竹馬がいい。今関係ない。自転車の話だ。

 

そんな2点でしか支えていない中卒低脳ビークルである自転車は、誰しもが一発では乗れない。つまり、練習をする必要があるのだ。よくある、父が子の自転車の荷台を持って押すあれである。

 

「パパまだ持ってる?持ってるよね?」と繰り返し確認する子どもに、「持ってるよ、まだ持ってるよ」と嘯いて後になって「実は持ってませんでした!乗れたね!おめでとう!」と喜ぶ、ド定番のアレである。

 

ハウス食品のカレールーのCMかなんかに使われていてもおかしくない、激ベタ&激エモ夕方日常感動シーンのひとつだ。

 

で、あの後ろから「まだ持ってるよ」と嘯くやつ、何らかのパラドックスが潜んでいる気がしてならないのだ。しかしそのパラドックスを体系立てて説明するには今の僕に時間がない。

 

大変恐縮なのだが、どなたかあのシーンに潜むパラドックスを説明してはいただけないだろうか。

 

潜んでなかったらなかったでそういう時もある。

 

今日は以上です。