六駅分のエトセトラ

家からオフィスまでの六駅で綴る何らかの文

オカネノツカイカタ

お金は使うためにある。

 

当たり前だが、非常に重要なことだ。

 

この部分だけ聞くと、浪費癖に打ち勝つことができない借金にまみれたダメ人間の戯言にも聞こえるが、決してそういうことではない。

 

お金は使うためにあるのだ。

 

なぜなら、お金というのは価値の象徴であり、交換を媒介するだけでそれ自体は何の機能も持たないものだからである。

 

わかりにくい表現になってしまった。

 

こういうことを言うとまた「東大はすぐ小難しいことを言う」「ヒーッ、ヒーッ」とさんまにバカにされてしまうから、もう少し平易な表現を心がけると、お金は最終的に何かに使うために持っておくものであって、何かと交換しない限り、何の役にも立たないただの紙切れでしかないということだ。

 

お金を貯めることはあくまでも手段であって目的にはなり得ない。お金を貯めた先にあるのは、イカしたバイクであり、ブチ上がる海外旅行であり、子供が行きたがっている私立学校であり、悠々自適な老後生活である。

 

しかし、だ。

 

僕は今、中途半端にお金を貯めている。新入社員として無理のないレベルで、ちまちまコツコツお金を貯めている。

 

その理由は、あくまで「何かに使うかも知れないから」であって、「これを買いたい」「これに使いたい」ではない。

 

一方で周囲に目を向けてみれば、意外とカツカツの生活を送っている者は多い。

 

「預金2万円切った」「カードでなんとかしてる」そういったスタイルが自分のお金の使い方より優れているとは言わないが、今はお金を貯めるより若いうちにできることをしておくべきだという理論には納得できる。

 

そろそろ、新入社員なりに冬のボーナスも入る時期だ。

 

とりあえず、結婚したら行きにくくなるであろう、海外旅行にでも行ってみようか。タイとかいいかも知れない。

 

少し前の発言を訂正しよう。お金は、「使うべきところで使う」ためにある。

 

そして僕は帰国したら、またちまちまとお金を貯め始めるだろう。

 

人間とはそういうものである。