そもそも非表示にしないのかな
今日は、「iPhoneの通知問題」について論じたい。
iPhoneのアプリは、何か通知が来るとホーム画面のアイコン右上に赤丸で通知の数が表示される仕様になっている。メールなら「新着メールがありますよ」だし、ゲームなら「アイテムが手に入りました」だったりする。
この通知を、ものすごい数溜めている人がいるだろう。メール500件とか、ライン1万件とか。彼らは一体どういう心境なのだろうか。
僕に関して言えば、何だかんだ几帳面なところがあるから、ホーム画面に通知が来ると逐一チェックして消している。
また僕の場合、会社で発生したTODOをメールでスマホに送って管理していたりもするから、数千件、数百件通知があると、通知が増えたかどうかわからず、TODOの存在に気付くことができないだろう。
それに、大切な人から大切な連絡が来ていたらどうするのだ。いつまで経っても未読スルーだったら、百年の恋も冷めかねないではないか。
…まあ、機能の話はいいとしよう。こちらがどんなに機能の有用性を説明しても、彼らが必要としていないなら無意味だからだ。
一番言いたいのは、単純に気持ち悪くないのかということである。
ていうか、そもそも何なのだ。内訳は。なぜそんなにえげつない数のラインが溜まるのか。彼氏が死ぬほど重いのか。それとも出会いのプロなのか。キャバ狂いなのか。
まあ、来ないよりはましか。
こんなに爽やかな朝だ。細かいことは気にしないで、深呼吸でもしよう。
雨が降ると電車が混む
今日は首都圏が大雨に見舞われており、各線で遅れや運休が出ているようだ。
僕が乗っている路線も例に漏れず影響を受け、今日はいつもの2割増しくらいで混んでいる印象である。
雨が降ると、電車が混むのだ。
しかし、冷静になって考えてみると、なぜそうなるのだろうか。
遅れや運休が発生すると電車が混むというのは、まあわかる。電車の密度が高くなったり、本数が減ったりすると、乗客が特定の電車に集中するから混雑するのだろう。
しかし、なぜ雨が降ると電車に遅れや運休が発生するのだろうか。明確に理由を答えられる人間は、実はそれほど多くないのではないだろうか。
「雨が降ると電車が混む」という言葉の響きには、「風が吹くと桶屋が儲かる」のようなことわざ的響きが感じられる。
無理やり理由を考えてみよう。
まず、雨が降ると、小学生が公園で遊ばなくなる。びしょ濡れになりながら鬼ごっこやかくれんぼをするのがあまり楽しいものではないということは、我々大人にも容易に想像ができる。
小学生が公園で遊ばないとなると、遊びはもっぱらおうちでゲームだろう。最近だとPSVRとか、switchとかが流行りなのだろうか。とにかく、外に出ないで遊ぶばかりだ。そうなると、ゲームをしながらでも美味しく食べられるお菓子が飛ぶように売れる。そうなると、お菓子メーカーが儲かる。
お菓子メーカーが儲かると、設備投資にさらにお金をかけられるようになる。お菓子の品質を高め、生産能力を上げるだろう。
……ここまでで、絶対におかしいことに気付いた。雨が降ってから電車が混むまでのフローが煩雑過ぎるし、タイムラグがヤバい。5年はかかりそうだ。
「雨が降ると電車が混む」の解明は、また後日リベンジするとしよう。
雨が降ると電車が混む
今日は首都圏が大雨に見舞われており、各線で遅れや運休が出ているようだ。
僕が乗っている路線も例に漏れず影響を受け、今日はいつもの2割増しくらいで混んでいる印象である。
雨が降ると、電車が混むのだ。
しかし、冷静になって考えてみると、なぜそうなるのだろうか。
遅れや運休が発生すると電車が混むというのは、まあわかる。電車の密度が高くなったり、本数が減ったりすると、乗客が特定の電車に集中するから混雑するのだろう。
しかし、なぜ雨が降ると電車に遅れや運休が発生するのだろうか。明確に理由を答えられる人間は、実はそれほど多くないのではないだろうか。
「雨が降ると電車が混む」という言葉の響きには、「風が吹くと桶屋が儲かる」のようなことわざ的響きが感じられる。
無理やり理由を考えてみよう。
まず、雨が降ると、小学生が公園で遊ばなくなる。びしょ濡れになりながら鬼ごっこやかくれんぼをするのがあまり楽しいものではないということは、我々大人にも容易に想像ができる。
小学生が公園で遊ばないとなると、遊びはもっぱらおうちでゲームだろう。最近だとPSVRとか、switchとかが流行りなのだろうか。とにかく、外に出ないで遊ぶばかりだ。そうなると、ゲームをしながらでも美味しく食べられるお菓子が飛ぶように売れる。そうなると、お菓子メーカーが儲かる。
お菓子メーカーが儲かると、設備投資にさらにお金をかけられるようになる。お菓子の品質を高め、生産能力を上げるだろう。
……ここまでで、絶対におかしいことに気付いた。雨が降ってから電車が混むまでのフローが煩雑過ぎるし、タイムラグがヤバい。5年はかかりそうだ。
「雨が降ると電車が混む」の解明は、また後日リベンジするとしよう。
出勤日365日/年
朝の通勤時間、特に電車に乗っている時間というのは、意外にバカにできないものだ。
塵も積もれば山となるとはよく言ったもので、1回の時間はせいぜい15分程度でも、1週間では1時間45分、1ヶ月では6時間半、1年やれば78時間もの時間になる。(ここまで計算して、休日を返上して毎日出勤していることになってしまっていると気付いたが、計算し直すのが面倒なので特に修正はしない)
その時間をパズドラに費やせば、せいぜい魔法石が2、3個手に入るか入らないかというところだろうが、日経デジタルに費やせば世の中の動きをある程度把握することができるだろうし、英語のリスニングに費やせば、TOEICの点数が100点くらい伸びるかも知れない。可能性は様々、無限大である。
その中で、しかし僕はあえて、この誰が読んでいるわけでもないしょうもないブログに、年78時間に及ぶ貴重な時間を費やしている。
これがどういうことかと言えば、アホである。アホ。すげーアホ。勉強しろ。
逆に言えば、このクソしょうもないブログにせっかく時間を費やすならば、もう少し、もう少しだけでも何らかの付加価値を持たせて、より多くの人に読んでもらうための工夫が必要なのではないだろうか。
そうでなければ、僕の78時間が報われない。
ということで、明日から何か考えることにしよう。具体案を伴わない批判は嫌いだが、このブログに関しては致し方ない。そもそも自分しか関わっていないので、迷惑をかける相手もいないのだ。
美味しかったラーメンの紹介でもしようかなあ。
ニュースについて
日本のニュースがあまりにもしょうもない気がする。
僕は普段朝のニュースはおはよう日本派なのだが、今朝はたまたま民放のニュースを観た。
放送されていた中でも、国会の解散の話だとか、小池都知事の新党立ち上げの話だとか、NFLの選手が国歌斉唱で膝立ちになることで人種差別に反対する意志を示しているとか、それをトランプ大統領が批判しているとか、その辺はいい。そういうのがニュースだ。
しかし、オーストラリアで若者が電車にしがみついていたとか、上野動物園のパンダの名前が決まったとか、大阪の警察署に勤めている一般職の女性がこっそり副業でキャバクラでバイトしてたのがバレて辞めざるを得なくなったとか、
クソどうでもよくないか。
たまにBSで海外のニュースを放送しているのを観ると、海外のニュースというのは皆「報道番組」といった体を為している。
BBCの公式ページを見ても、政治や経済、科学などの記事がほとんどで、ゴシップやほのぼのニュースみたいなものは明確に住み分けをしているようである。(もしかしたらBBCが日本で言う日経みたいな類の報道機関で、真面目なヘッドラインしか載せていないのだろうか…?)
何にしろ、海外のニュースに比べて、日本のニュースがあまりにもしょうもないというのは、おそらく明確な事実なのではないかと思う。
スマホのニュースアプリを見ていても、クソどうでもいいまとめサイトみたいな情報が氾濫していて、得られる利益が少なすぎる。
頼みの綱のNHKにしても、最近はニュースをやらないあさイチが人気だ。
日本人はニュースが嫌いなのかも知れない。日本人、もうちょっと世の中の動きに興味持とう。
そして僕はいい加減に新聞を購読するべきである。
少年よ、肉を焼け
昨日、焼肉を食べた。
新宿歌舞伎町のお店だ。たまにオーダーが通っていないことがあったのを除けば、安くてメニューも豊富な良い店だったと思う。
ところで焼肉と言えば、しばしば戦争を起こしてきた「あの問題」を話題にしないわけには行かないだろう。
「焼肉で白ごはんを頼むか否か問題」である。
当然ながら、お酒があまり得意でない僕は圧倒的にごはんを頼む派である。タレを絡めたアツアツのカルビをサンチュに巻いて頂き、ハフハフッとごはんを頬張る以上の幸せがあるか?いや、ない。
キムチと一緒に飲むのはウーロン茶で全く問題なく、ビールである必要性も、いわんやマッコリである必要性はもちろんないというのが、焼肉に対する基本的な僕のスタンスである。(さすがに周りを全く気にせずガンガン白ごはんとかウーロン茶を頼めるわけではないところに僕の凡人性が現れてしまっている)
ただしこれはあくまで僕の好きな焼肉の食べ方であって、他人に強制するつもりはまるでない。インド人が牛を食べているからといってアメリカ人を批判することがないように、僕は周りが白ごはんを頼まないからといって彼らを批判するつもりは毛頭ないのだ。
蓼食う虫も好き好きと言うように(少し意味が違うが)、食に対するこだわりというのは人それぞれであり、他人が口を出してどうなるものではないのである。
しかし悲しいかな、得てして文句を言うのはいつも白ごはんを頼まない派の人間である。
「焼肉で白ごはん頼むとか(笑)」
「白ごはんは高校で卒業しろよ(笑)」
もちろん全員が全員そうではないが、このような敵意をむき出しにするならず者は、残念ながら相手方に多いというのが実情であろう。
しかし、文句を言っていても平和への道は進めない。我々「白ごはん頼む派」と、「白ごはん頼まない派」は、今こそ手を取り合うべきではないだろうか。
全ての焼肉屋で、ごはんとビールが平和に共存することができるようになることを祈る。