六駅分のエトセトラ

家からオフィスまでの六駅で綴る何らかの文

へすてばる

この土日は、お祭りの週末だった。

 

土曜日は藝祭に行った。上野にある日本トップの芸術系大学、東京藝術大学の学園祭だ。

 

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カオスだった。それにつきる。藝大は美術系と音楽系のキャンパスが道路を挟んで向かい合っているのだが、美術系と音楽系であからさまに雰囲気が違うのである。

 

美術系の方は、ただただカオスである。藝大はそもそも普段から図工室をひっくり返したような雰囲気なのだが、藝祭の期間中は、図工室をひっくり返すだけでは飽き足らず、ダイナマイトで爆破したかのようなchaos。カオスじゃない、ケイオスだ。

 

対して音楽系の方は、どこかシュッとした雰囲気が漂う。キャンパス自体もなんだかカッコいいし、どこかから演奏の音が漏れ聞こえる。ハイソな雰囲気漂うのは、さすがお坊ちゃんお嬢様の巣窟なだけある。

 

あと、神輿だ。藝祭と言えば神輿。僕は亀のやつが一番好きだった。

 

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日曜は、池袋の近く、西武池袋線椎名町駅の近くの長崎神社で行われる例大祭に行ってきた。

 

神輿を担げると聞いてウキウキで行ったら、とてもそういう感じではなかった。まあ、そういうこともある。楽しかったからオーケーだ。

 

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よくわかんないアイスクリームがうまかった。あれはなんなんだろう。アイスクリームとシャーベットの中間のような。

 

祭というのは、ハレの日である。生活にはハレとケがあり、ケがあるこそハレがある。土日両日を使って存分にハレを味わった僕の心は、すっかりハレわたって…いるかはわからないが、今日も会社に行くぞ、という意欲には満ちている。

パフェとサンデーに明確な違いはないらしい

昨日、パフェを食べた。

 

パフェというのは、幸せのかたまりみたいな食べものだとと思う。生クリームにアイスクリーム、フルーツ、小さなケーキ、ソースにコーンフレーク…。バラエティ豊かな甘味を、あの長いスプーンでつっつく楽しみは、何ものにも代え難い。

 

そんなパフェの楽しさは、特殊な食器にそのほとんどが凝縮されている気がする。生クリームにアイスクリームといった、あのパフェの中身が、大皿に平坦に盛り付けられていたらパフェの楽しみは半減してしまうだろう。

 

逆に、テンションの上がりようがないような食べもの、例えばコンビニの幕の内弁当なんかも、あの細長い台座付きのカップに層になるように盛り付けて、食べにくい長いスプーンで恐る恐る食べれば、18倍くらい美味しく感じるのではないだろうか。

 

おそらくトップには厚焼き玉子と焼きジャケが来るのだろう。ごま塩がふりかけられたごはんをかきわけて下に掘り進むと、ポテトサラダとナポリタンが顔を出す。アクセントの漬け物を挟んで、ごはんに身を隠すようにカップの底に鎮座しているのは、さしずめカニクリームコロッケだろうか。

 

早速試してみたくなってきた。しかしここで一つ浮上する問題は、あのカップとスプーンがどこで買えるのかわからないという問題だ。

 

考えてみるとこういう食器って結構あって、カレールーをライスにかける時の魔法のランプみたいなやつとかもそうだ。あれにバーモントカレーを入れて白いごはんにかけたらさぞ美味しいのだろう。

 

かっぱ橋とかに行けば買えるのだろうか。

 

かっぱ橋はどこだ。わからん。

 

キャンドゥで取り扱ってくれないかな。

日常に潜んでいるかも知れないパラドックスの話

自転車というのは、考えてみれば不思議な乗り物だ。

 

だってタイヤが二つしかないのだ。三輪車はわかる。任意の3点で平面が一意に定まることは高校数学で誰しもが習っただろう。三輪車はタイヤが三つあるので平面が一意に定まる。つまりグラグラしない。安定しまくり。幼児、運転しまくりである。

 

一方の自転車だ。あれを作ったやつはおそらく高校数学もまともに受けていないのだろう。自転車、グラグラしまくりである。だって2点しか支えてないから。一輪車に至っては1点だが、この際一輪車のことは忘れよう。一輪車と言えば小学校の頃、学校のピロティに竹馬と一輪車が置いてあったが、なぜか男子は竹馬、女子は一輪車という風に性別で好みが分かれていたものだ。

 

背丈ほどの高さにステップを固定し、曲芸のような竹馬を披露して得意になっているやんちゃ坊主を横目に、膝くらいの一定の高さでいかに素早く動けるかを研究していた覚えがある。あれ今思い返すと結構危なかったな。今もあるのかな。ピロティ。

 

いや、一輪車はいいのだ。と言うか竹馬がいい。今関係ない。自転車の話だ。

 

そんな2点でしか支えていない中卒低脳ビークルである自転車は、誰しもが一発では乗れない。つまり、練習をする必要があるのだ。よくある、父が子の自転車の荷台を持って押すあれである。

 

「パパまだ持ってる?持ってるよね?」と繰り返し確認する子どもに、「持ってるよ、まだ持ってるよ」と嘯いて後になって「実は持ってませんでした!乗れたね!おめでとう!」と喜ぶ、ド定番のアレである。

 

ハウス食品のカレールーのCMかなんかに使われていてもおかしくない、激ベタ&激エモ夕方日常感動シーンのひとつだ。

 

で、あの後ろから「まだ持ってるよ」と嘯くやつ、何らかのパラドックスが潜んでいる気がしてならないのだ。しかしそのパラドックスを体系立てて説明するには今の僕に時間がない。

 

大変恐縮なのだが、どなたかあのシーンに潜むパラドックスを説明してはいただけないだろうか。

 

潜んでなかったらなかったでそういう時もある。

 

今日は以上です。

ねぼすけさんとねぼかくさん

寝坊した。

 

寝坊と言っても、なんのことはない、電車一本分の寝坊である。

 

普段からある程度余裕を持って出社しているので、業務に影響はない。

 

しかし会社の人というのは意外とよく周りの人を見ているもののようで、電車一本分(だいたい5分くらい)でも寝坊したことがバレる。こないだも指摘されてしまった。

 

まあそれは今日もなんとなくごまかすとして、もう少し根本的なところを考えてみたい。

 

寝坊というのはなぜ起こるのだろうか。

目覚まし時計という文明の利器が存在する現代、寝坊する原因には次の4つが考えられる。

 

①アラームをセットし忘れた

②アラームが鳴ったが起きられなかった

③一度起きたが二度寝してしまった

④そもそも時間を間違えていた

 

以上の4つだ。今朝の僕は③だった。二度寝した場合の最後の砦として7時半にも平日毎日鳴るようにセットしているのだが、そっちには気付かなかったようだ。すなわち③と②の合わせ技である。嫌なコンボだ。このように寝坊の原因は一つではないことも多い。

 

さて、これらの原因を見て行くと、①はお前それはやめろ。セットしろ。セットすれば済む。③もやめろ。二度寝したらアウトなのわかるよね?いや、わかるよ?二度寝きもちーのはわかるよ?でもやめろ。一度寝で打ち止めにしろ。しまいにゃ信用をなくすぞ。そして④もやめろ。時間を確認しろ。そうだろ?わからないか?お前の頭はカニミソか?カニ食いてえな。あとたい焼きも食べたい。牛乳で流し込みたい。といった感じのやつだが、②に関してはもはやどうしようもない。

 

どうしろと言うのだ。対策のしようがないではないか。近所迷惑なクソでかいジリジリ音を撒き散らす、昔ながらの目覚まし時計でも導入しろと言うのか。それとも腕時計タイプのめっちゃバイブがすごいやつか。あとなんか昔テレビでベッドが傾いて無理やり起こすやつ観たな。あれちょっと楽しそうだった。

 

またしても全くとりとめのない文章になってしまったが、オフィスの最寄り駅に着いてしまった。きっとまだ脳が起きていないのだろう。ところで睡眠は1時間半の倍数で取った方がいいみたいなやつ、僕の場合6時間じゃ足りないんで7時間半になるんですけど大丈夫ですかね?会社は睡眠時間保証してくれるの?会議で居眠りしたら労災出るの?出ないか。

 

今日も眠い。

誰か私にアセトアルデヒド分解酵素を分けて下さい

今日の話題は「飲みュニケーション」にしよう。

 

「飲みュニケーション」というのは、言うまでもなく、飲み会の場でのコミュニケーションのことである。

 

コミュニケーションは大事だ。えらい数の色んな人で構成された会社という組織で働く以上、周囲の人々とコミュニケーション。取ることは必要不可欠である。

 

そして、会社というものは基本的に平日の昼間に働くものであるから、休日を返上しない以上、プライベートで同僚や上司と会うのは基本的に夜になる。

 

さらに、どうやら大人という生き物は、ただ会って話をするだけでも、酒を媒介にしないとできないという呪いにかかっているため、必然的にその場は飲み会にならざるを得ず、いわゆる「飲みュニケーション」になるのである。

 

飲みュニケーションとはそのような過程で生まれてきたものだと認識している。間違っていたら教えてほしい。

 

よくわからないのは、酒を媒介にしないと会って話をすることもできないという呪いの部分である。

 

大変な呪いである。

 

まあ、仕方ないのだろう。僕は納得できないことがあると自分の中で説明がつくまで絶対に認めないタチなのだが、「夏が暑いのは納得行かない!暑すぎる!認めない!」などと言い出す人間がいたら鼻で笑われるだけだ。

 

(当然夏が暑いのはメカニズムも理解しているし、納得できるわけだが、僕が自分の価値観に照らして納得が行かないことを批判していても、世の中の人には意味のわからない主張をしているように見えることもあるかも知れない、という話である。しかしかっこ書きが長い、もう少しまとめろ)

 

夏が暑いなら、半そでを着て、クーラーをつけた方がいい。

 

とどのつまり、そういうことなのかも知れない。

 

男は黙ってゲロ攻撃

昨日の夜、体調を崩した。2時間くらいいたあのスタバがちょっと寒かったのだ。たぶん。

 

体は丈夫な方だと自負しているが、毎年一度だけ、よくわからないタイミングで必ず体調をぶち壊す。

 

それも、今回のような一晩寝たらだいたい治るような、ぬるい体調不良ではない。数日間にわたって這ってしか動けなくなるレベルで、突然体調を崩すのだ。

 

去年は三月だった。部活を引退して卒業設計も終わり、ようやく色んなことに時間を使えると喜び勇んで色んな予定を入れていた土日が丸潰れである。同じ大学出身の二年目の先輩が、内定者を招いて飲み会を企画してくれたのに当日ドタキャンになってしまったのは本当に申し訳ないと思っている。

 

一昨年は確か11月。頭痛とめまい、吐き気で寝るに寝られず、一晩中うなされていたのを覚えている。あの夜は一晩が永遠に続くかのようだった。部活の同期が買ってきてくれたポカリとウィダーが嬉しかった。ただバナナはまずかった。ちなみに後でしっかり代金は徴収された。500円くらいだった。

 

その前の年は10月か。内科に罹ったら、急性胃腸炎と診断されたはずだ。チャリで5分の内科まで行くのも辛かった。受付をした後の待ち時間も地獄のようで、死んだようにソファに座っていた。予防接種に連れて行かれる小学生を見て、自分より先に受付をしたのだから仕方がないと言えばそうなのだが、こんなに辛そうにしていても優先してくれることはないのだなと悲しくなったのを覚えている。ちなみに診察が終わったあとに病院の前の植え込みで吐いた。そのくらいギリギリだった。決して優先してくれなかった腹いせにゲロで反撃したわけではない。結果的にはそうなったが。(受付の人に吐いてしまったことだけ伝えてなんとか帰った)

 

というわけで、たぶん今年も来る気がしているのだ。昨日の夜はもしかしたらこの体調不良は例年のアレかも知れない、と身構えたが、一晩でかなり治ったので違うだろう。アレだったら少なくとも3日は苦しむ。

 

言うまでもなく、体は大事だ。

 

しっかりごはんを食べて、そこそこ運動して、ぐっすり寝て、もりもりウンコして、なるべく健康に生きよう。

 

(ただ、今までもそうしていたのに三年連続で体調をぶち壊しているので自分の健康があまり信用できない)(部活で運動しすぎていた可能性はある)(ジムに通いたい)

やったけど家に忘れました

新学期である。

 

一般的に会社勤めの人間は、「新学期」というものの到来を実感しにくい。会社に学期などというものはないからだ。夏休みもなければ宿題もない。朝顔の観察日記も自由研究も漢字ドリルもしなくていいが、その代わりその他のやるべきことが毎日毎日クソほどあるのが会社勤めだ。たぶん。

 

しかし僕の場合、家から最寄り駅までの道に「こども見守り隊」的なおばちゃんが何人かいるので、おばちゃんが出現したことで新学期を感じることができたのだ。今日はたまたま通り過ぎたタイミングがお取り込み中で、残念ながら挨拶はできなかったが。

 

逆に、7月中旬におばちゃんが突然消えた時はショックだった。毎朝同じ場所で、あのT字路とあの駐車場の前で、元気に挨拶をしていたあのおばちゃんたちが忽然と姿を消したのだ。いわば神隠し。人数が人数ならアンビリーバボー案件である。涙をこらえて会社に向かったのが今は遠い昔のようだ。

 

さて、そんな新学期が始まる今日は、こどもの自殺が一年で最も多いと言われているらしい。理由は言うまでもないが、学校に行くくらいなら死んでしまいたいと思えるほど、学校で嫌な思いをしているこどもが多くいるのは何とも悲しい話である。

 

学校というのは、そこそこ楽しくて、そこそこめんどくさいところでなければならない。死ぬほど嫌なところであってはならないのだ。と言うか、人が死んでいい理由などない。

 

暗い話はこの辺にしておこう。久しぶりにきなこ揚げパンを食べたくなった。