六駅分のエトセトラ

家からオフィスまでの六駅で綴る何らかの文

平和な日常

おととい北朝鮮からミサイルが発射されたが、今日はミサイルはどこへやら、朝のニュースはすっかり日常モードである。

 

いや、日常モードでいいのだ。平和が一番。日本にミサイルが撃ち込まれる可能性がとりあえずほぼなくなったのだから、平和な日常モードに戻るのは当然のことである。

 

しかしちょっとだけ気になるのは、世の中の人々の頭の中にミサイルはあるか、ということだ。世の中の人々は、ミサイルというものがどんなものなのかわかっているのか?一度でもわかったのか?いや、僕は別に、決して兵器に詳しいわけではないのだが、ごくごく平和な日本の街に、大量殺戮兵器が撃ち込まれ、家々が潰れ、ビルは崩れ、パニックになった群衆は行くあてもなく逃げまどい、数え切れないほどの人が死ぬ。そういう光景を、一瞬でも想像したのだろうか。

 

もちろん、そんな光景を想像するなどということは苦痛以外のなにものでもないから、無理強いするわけではない。ただ、僕は想像した。平和な日常が崩れることを想像した。だからこそ、今日の平和が嬉しくて仕方がない。

 

平和のために、僕個人には何ができるだろうか。それは必ずしもデモのような仰々しい行動ではなくて、これはデモを批判するわけではないのだが、多分もっと小さな、身近なところに、平和維持への第一歩があると僕は思っている。

「写経」と呼ばれる宿題は総じてクソだ

先日、こんなツイートが話題になっていた。

 

https://twitter.com/i_i_captain_/status/900549083256901632

(埋め込み方がわからないので誰か教えてください)

 

妹の宿題で、生物の用語とその定義を写経のように何度も書かせるというものだ。

 

ツイート主は、「あまりにもかわいそう」「よく中学教員になれたな」とこき下ろしている。

 

確かに、この宿題を出されたら僕はキレると思う。「生徒はコピー機じゃねーぞ!?!??」などと言って、死ぬほど汚い字で書き殴るか、そもそもやってこないかも知れない。納得行かないものに無駄な労力をかける必要はない。あ、でも中学だから内申点取らないといけないのか…。やらないとアカンのか…マジで内申点はクソ。あの制度早く潰せ。

 

ただ、「書く」というのが知識を定着させるのに非常に有効な手段であることは確かだ。黙読するよりも音読した方が、音読するよりも書いた方が知識は頭に入る。何らかの動作を伴った方が、印象的に記憶に残るのだ。

 

しかし、この宿題はやはりまずい。思考停止状態になってしまうからだ。同じ「書く」でも、ただ機械的に書き連ねるのと、内容を考え、理解しながら書くのとでは、理解の深さに天と地ほどの差がある。

 

結論として、この宿題は全く意味がないとまでは言えないものの、やはり限りなく無意味に近いと言えそうである。

 

それにしても、生物の単語を見ていたら、懐かしい気持ちになった。僕はもともと理系の生物選択である。昔から植物が好きで、高校の頃一番好きだった科目は生物だった。今でも水と緑が大好きで、常に自然と戯れるチャンスを窺っているような人間だ。(10月末には紅葉のキレイな山に行く予定だ。楽しみすぎる。)

 

やりがいのない宿題で、中学生が生物を嫌いになってしまわないことを祈る。

どこかで誰かが死んでいる

北朝鮮がミサイルを
撃ったらしい。
朝のニュースは
ミサイル一色だった。

 

今回は北海道を通り過ぎて
太平洋に落ちたが、
もしこれが街に落ちていたら、
多くの人が死に、
戦争が始まり、
さらに多くの人が
死んでいたのだろうか。

 

そんなことが
あってはならない。

 

戦争反対だ。

 

「戦争反対」というのは、
「お腹が減った」と
同じくらい根源的な
欲求だと思う。


死にたくない。
誰かに死んでほしくない。
そう思うのは
至極当然のことだ。

 

自衛隊を持つかどうかとか、
憲法改正するかどうかとか、
安保がどうとか、
集団的自衛権とか、
それ以前に、
戦争はしたくない。

 

自衛隊の隊員の人にも
家族がいるんだから、
死んでほしくない。

 

恐ろしい戦場ではなく、
平和な街で生きていきたい。

 

そう願うのは当然のことで、
今そうなっているのは
幸せなことである。

 

しかし、
僕の願いとは関係なく、
世の中というのは
回って行くもので、
もしかしたら
明日にも戦争が
始まってしまうかも
知れない。

 

それはとても辛く、
悲しいことだ。

 

平和的解決を祈ることしか、
僕にはできないが。

皆なろう

富士山に登ってきた。

 

14時に須走口五合目から登り始め、17時半頃七合目の山小屋に到着。仮眠を取り、23時過ぎに山小屋を出発。3時頃山頂に到着し、御来光を見て下山した。雨が降る予報だったが、登り始めは少しパラついたものの、晴れ女の友人のおかげですっかり晴れた。

 

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思っていたより道のりは険しくなかった。まあ、女性や高齢の方でも登れるくらいだから当然といえば当然かも知れないが。

 

ただ、高山病はやはり怖いもので、一緒に登った富士山経験者のアドバイスに従い、かなりこまめに休憩を取ってゆっくり登ったにも関わらず、七合目辺りから頭の中の血管が締め付けられるような頭痛が少し出てきた。

 

それ以降も、登り続ける中で断続的に頭痛が出るような状態だった。今回は幸い山行に影響が出るほどではなかったが、休憩を取らずにどんどん登っていたら、途中でダウンしていただろう。

 

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そして、山頂はとにかく寒かった。登っている最中はいいものの、山頂で座って御来光を待つ時間は体が冷え、ただただ寒い。長袖インナーにTシャツ、ウィンドブレーカー、ダウンベスト、レインウェアの5枚重ねでも寒かった。防寒対策が一番重要ではないかと感じた。

 

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目に付いたのは、軽装の外国人観光客だ。ジーパンにスニーカーといったその辺にいそうな格好で登ってるいる人が多くいた。まあ、それで登れるならオーケーだが。

 

また、山頂で登山客の交通整理をしていた方によると、昨日は全部で4000人の登山客が訪れたそうだ。山頂はパンパンだった。みんなそんなに日の出が見たいのか。毎日上がってるぞ、太陽。と思ったが僕もその一人なので仕方ない。

 

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その後御殿場にある温泉で汗を流し、ジンギスカンを食べて東京に帰り、家に着いたのが19時。20時半に就寝し、ノンストップで6時半まで10時間寝た。元気いっぱいだ。今日からまた会社。体力はある。

 

医療費上がった日本死ね

今日は、日本ヤバいんじゃない?というお話である。

 

日本の医療費は年に40兆円かかっているらしい。40兆円だ。額がでかすぎていまいちスケールが分かりづらいが、多分すごい額だ。うまい棒が4兆本買えるし、5000兆円の125分の1である。あれ?125分の1?大した額じゃないんじゃない?なんだ大したことないじゃん日本政府、おれのお小遣い増やしてよ。あるいは3000円くれ。

 

…なんてことはもちろんない。実際僕も40兆円という額の大きさを掴み損ねているが、日本の国家予算はおよそ100兆円らしい。(このうちおよそ半分の50兆円を国債で賄っているのも相当にヤバげな話ではあるが、今回の話題とは位相が違うので置いておこう)そのうちの4割が医療費である。この計算合ってるかな。単純に比べていい数字かなこれ。違ってたらごめん。

 

とりあえず仮にそうだとして、例えば月収が100万円の人がいて、結構いい暮らしができそうだが、ひとまずそれは置いておいて、その人が毎月40万円病院に使っていたら相当ヤバいだろう。病院行きすぎである。レントゲンを毎日5枚撮るか、金粉をふんだんに点滴するかでもしないとここまでの額は行かないのではないか。

 

国と個人の歳出を比べるのはいささかナンセンスかも知れないが、多分ヤバい。少なくとも僕はそう感じた。

 

ちなみに2000年の医療費は30兆円。1985年は10兆円を切っていたそうだ。そしてこれからどんどんお年寄りが増え、お金を負担する若者はどんどん減って行く。国が躍起になって健康を推進しようとするのも頷ける数字だ。

 

逃げるならどこがいいだろうか。北欧がいいな。いや、北欧はキレイだけど、住む街じゃなさそうだ。リアルにベトナムとか台湾あたりが住みやすそうなイメージはある。ていうか旅行行きたいな。

 

おそらく、手を挙げれば海外に行ける会社である。割と真剣に考えている。

そこに金があるなら

昨日、少し大きめな買い物をした。コロンビアの登山靴を買ったのだ。1万5千円と、登山靴としてはお手頃な入門価格であるとは言え、決して安くはない額である。

 

なぜかと言えば、今週末、友人と富士登山をすることが決まっているからだ。ランニングシューズで行けるらしいとも聞いたが、足元に関しては万難を排した形である。

 

そもそも最初はレンタルで済ませようと考えていたのだが、結局買ってしまった。三つの店を回って熟孝を重ねた結果であった。

 

この登山靴の決定は、金額以上に、僕にとって一つの大きな決断だったのだ。

 

当方、水と緑が大好きな人間である。生まれてこのかた東京を出たことがないというのもいくらかあるかも知れないが、都会の喧騒より、田舎の緑に包まれるような環境の方が幸せを感じるのだ。

 

そういう人間は、山を始めたら絶対にハマるだろう。

 

山は、美しく、楽しい(たぶん)。しかしそれと同時に、怖い。遭難事故のニュースは毎年必ず数件あるし、大学にいた頃には他大の同世代の山岳部員が死亡する事故も何件か起きていた。それなりの大学の山岳部であるから、きちんと準備をした結果である。山というのは、死がそこにある場所なのだ。実際、大学に入った時、ワンゲルも考えた。しかし、母親に「死ぬからやめなさい」と言われて考え直した。死ぬのは怖い。

 

また、山は金をかけ始めるときりがない趣味だと聞く。実際、昨日行ったショップも軒並み高かった。ゴアテックスはなぜあんなに高いのか。金箔でも織り込んでいるのかと思うほど高い。

 

ということで、どハマりすると命を危険にさらしながらダバダバと金を搾り取られそうな山という趣味を、僕は今まで意識的に避けてきたのだ。しかし今回、登山靴を買ってしまった。レンタルなら3500円で済んでいた登山靴に1万5千円かけたのだ。少なくともあと3回は山に登らないと損というものだろう。ちなみに今回モンベルのヘッドライトも買っている。3千円だ。レンタルは500円だったから、あと5回は夜の山を登る必要がある。

 

まずは奥多摩がいい。陣馬も一度行ってみたい。低山でいいのだ。登りやすいところで、それから段々標高を上げていって、テント泊も増やして………

 

ハマる気しかしないのだ、結局。

 

ここで、一つだけ決心を述べておこう。

 

「冬山には登らない」

 

逆に言えば、それ以外はやるということだろうか。

 

ともかく、コロンビアさん、モンベルさん、パタゴニアさん、ノースフェイスさん、今後ともよろしくお願い致します。

 

週末が楽しみで仕方ない。

八月の脳が失活する暑さ

今日は暑い。東京都心は35℃まで上がるそうだ。しかし暑い。ムシムシと暑い。家を出た瞬間に暑い。ワイシャツを脱ぎたい。

 

ここのところ、雨で涼しい日が続いていた。僕自身、こんなの夏じゃない、夏というのは暑いものなのだとブーブー文句を垂れていた割に、生来暑がりであるゆえに、いざ暑さが戻ってくると不快指数爆上がりで、それはそれでブーブー文句を垂れるのであった。人間とはかくも自分勝手な生き物である。

 

ところで、外が暑いのは当然なのだが、電車が暑い。汗ばむくらいだ。心なしか周りの乗客も暑そうに見える。この車両が弱冷房車なのだろうか。

 

弱冷房車というものは、暑がりの敵である。文明の利器たるクーラーの大いなる力を、あえて抑えて温度を上げようとは、神をも恐れぬ大愚行である。

 

何しろ、暑いのだ。寒がりの人だって、せいぜい15分くらいしか電車に乗っていないのだから、多少肌寒くても我慢してほしい。寒いのは筋肉に力を入れれば耐えられるが、暑いのはどうしようもない。マッチョは、暑さの前に無力なのだ。

 

というのは完全に暑がりの言い分である。そして僕がマッチョであることがバレた。違うのだ、部活を引退してすっかり筋肉は落ちた。だが心はマッチョである。心の大腿四頭筋は今でも現役バリバリのキレキレなのだ。

 

今日も今日とてまとまりのない文章になった。小麦粉を使わないかき揚げでももう少しまとまるだろう。今日は退社したら新宿に行くのだ。麦茶が飲みたい。