六駅分のエトセトラ

家からオフィスまでの六駅で綴る何らかの文

天高く馬肥ゆる感じの季節

最近、気温がジェットコースターである。

 

カレンダーを見れば、10月の中旬に差し掛かるところだ。爽やかに晴れわたる青空。のんびり流れるいわし雲。暦の上ではオクトーバー、天高く馬肥ゆる感じの季節のはずではないか。

 

しかし、この数日の気温の乱高下といったらひどいものだ。急に上がったと思ったら一気に下がり、また上がる。富士急ハイランドもびっくりの、トンデモ気温調整ではないか。はじめはGoProで自撮りを試みて従業員に怒られるほど調子が良かったクソDQNも、降りた後あまりのショックに近くのベンチで小一時間休憩するほどの絶叫マシンぶりである。

 

ここまでのトンデモ気温調整をかまされると、さすがの我々恒温動物もたまったものではない。服を着ては脱ぎ、脱ぎは着てを繰り返しはするものの、暑いし寒いし、も〜〜〜大変。あっちでハクション、そっちでコンコン、秋風邪流行注意報絶賛発令中状態必至ではないか。

 

というわけで、昨日の集まりは本当は4人の予定だったのだが、秋風邪の餌食になってしまった1人は来ることができなかった。

 

久々の再会を果たせなかったことは残念ではあるが、体調不良とは予定のいかんに関係なく突然来るものであって、出物腫れ物所嫌わずとは少し違うが、何にせよ致し方ない。黙して次回を企画しよう。明けない夜がないように、治らない風邪はない。(健康的な人なら)(2週間咳が続いたら肺炎を疑おう)

休日ギチギチ大作戦

僕はどうやら、予定がないとどこまでも自堕落な生活を送る人間らしい。

 

この三連休、初日にシーパラに行くというイベントが発生した以外は、割とマジで何もしなかった。何も予定がなさすぎて、久しぶりに実家に帰ってゴロゴロしていたくらいだ。

 

実家でもゴロゴロし、家でもゴロゴロする。何度も述べているように僕は睡眠欲が無限なので、寝ようと思えばいくらでも眠れてしまうのだ。ベッドに横たわっている限り、圧倒的に無敵である。前日10時間寝ても余裕で3時間くらい昼寝できるし、21時には眠くなる。かっこよく言えばロングスリーパー、かわいく言えばねぼすけさん、冷静に考えると軽い病気である。

 

そんな感じだから、休日に予定がないとそれはそれは無限に寝てしまうのだ。これはまずい。僕はこんなに眠いくせに、「何もしない時間」というのが何より嫌いな人間である。

 

ぼーっとするのが苦手だから、公園のベンチでゆったりとした時間を過ごすみたいなことは当然できないし、長風呂も苦手だ。歩いている最中も何か考え事をしていないと気が済まないし、ゴロゴロするというのも要はスマホのネットサーフィンと睡眠に時間を費やしているということである。(そして後で時間を無駄にしたと後悔する)

 

時間は有限だ。まだまだ体が若い今のうちに、できることを色々やってみないともったいない。

 

自分は無限に眠れるが、一定時間以上寝るとそれ以上は睡眠による疲労回復効果がなくなり、ただの時間の無駄になる。

 

これからは、休日はできる限り予定を詰め込もう。何でもいい。この時間にこれをやる、というスケジュールがあれば、自ずとベッドから上がる気力も生まれるはずだ。

 

平日は少々勝手が違うから、今日から、というわけには行かないが、少なくとも今週末からそうしようと思う。

今日はこっちに行ってみよう

昨日は眠かったので8時間半寝た。22時半から7時。やはりいっぱい寝ると幸福度が高い。本当は毎日8時間寝たい。眠いから。基本的にいつも眠いから。

 

で、高い幸福度に包まれてフンフン駅前を歩いてたら、JKの会話が聞こえてきた。

 

「こっちから行ったことある?」
「ない!行ってみよ!」

 

どうやら、駅から学校に行くまでの道の話のようである。いつもと違う道を選ぶというだけのことが、彼女たちにとっては非日常であり、楽しむべき特別なイベントなのだ。

 

微笑ましいと同時に、なんだかちょっと切なくなった。大人になった自分は、「いつもと違う道を選ぶ」という行為を、単なる遠回り、時間の無駄と思わず、楽しむべき特別なイベントとして捉えられるだろうか。そんな感性を、果たして僕は持っているだろうか。

 

持ってた。

 

考えてみると昨日、特に意味もなく駅から家までいつもと違う道を通って帰っていた。見たことのないスーパー(若干高い)や、街の氷屋さん(おばあちゃんちのにおいがする)。いつもと違う道を通ることは、僕にとってまだまだ楽しむべきイベントであったし、きっとこの先もずっとそうあり続けるだろう。

 

僕はまだまだ子供で、大人への道は遠いし、大人ももっと小さなことを楽しんでいいと思う。

「老害」って言葉も嫌い

若さとは相対的なものである。

 

若さをはかる絶対的なものさしは存在しない。

 

我々はそのことを常に自覚しておくべきである。

 

小学一年生をお世話する六年生は「お兄ちゃん」「お姉ちゃん」と言われるし、

 

4年生の女子大生は冗談めかして自分のことを「ババア」と卑下する。

 

「アラサー」という言葉の与える印象が年代ごとに全く異なることは容易に想像できるし、

 

高齢化が進んだ地方のとある村では、還暦を迎えたばかりの人は「若手」であるという。

 

つまり、その人が「若い」か否かは、常に周囲と比較して相対的に決まるものであって、ある年齢から若い、ある年齢から若くないと一概に決められるものではない。

 

当たり前のことだと思われるかも知れないが、身を置くコミュニティが限定されていると、意外と忘れがちな事実である。

 

年齢層の異なるコミュニティに入れば、自分の若さに対する評価は180°変わる可能性があるということを、我々は常に自覚していなければならないと思う。

 

まあ、単に僕がたかが20歳そこそこで変に老人ぶる大学生を嫌っているだけかも知れないが。

ガチねむ

最近、酒を飲むと翌日にクソほど眠くなることに気付いた。

 

僕はもともとあまり酒に強くない体質である。大学生の時、スミノフアイス一本で吐いたこともあった。初代ポケモンで言ったらポッポくらいの弱さである。ルビサファだとスバメ

 

そんなこともあって、アルコールを摂取した時の体への影響がすごい。ほんの少しの量でも血圧が上がり、酒の席では睡魔に襲われ、そのくせベッドに入ると眠りが浅くなる。結果として睡眠時間が十分に取れず、翌日クソほど眠くなるのだ。

 

僕は基本的に常に眠い人間だが、昨日なんかようやくそのことがわかってきたから、二次会まで行きながらビール2杯でとどめたというのに、今はもうガチねむである。ガチねむ。誰か早くベッドを持ってきてくれ。早く。救急隊員がガラガラ引いてくるやつでいい。白くて硬そうなやつ。もはやアレの上でも秒で入眠できる自信がある。頼む。ていうか119電話していい?スマホは便利だ。

 

というわけで、今日はわずかな乗車時間も立ちながらの仮眠に費やすべく、しょうもない文書はこの辺にしておこう。

会社とは

会社とはなんだろうか。

 

会社というのは、一人でできないような大きなことをたくさんの人が協力し合って達成し、お金を稼ぐものだと理解している。

 

一人でもお金を稼ぐことはできるのだが、色々なことをやろうとするとどうしても人手がたくさんいるのと、一般的に規模を大きくすると大きくしただけ儲かるので、会社というものが存在しているのだと思う。

 

さて、たくさんの人がいる中で、成果を出し、お金に結び付けるためには、周囲の人との協力が欠かせない。

 

そう考えると、会社で働くということはすなわちコミュニケーションであり、人付き合いである。

 

ただしそれらのコミュニケーションや人付き合いは、必ずしも強制的に参加させられる飲み会ではないし、行きたくない人を無理やり連れて行く社員旅行でもない。

 

とは言え、働く上で相互理解は非常に重要なことであって、プライベートでの交流は、会社でのコミュニケーションからさらに一歩、二歩踏み込んだ付き合いができるものだというのもまた事実である。

 

そう考えると、飲み会を頑なに全て断るような人間は、ゆとり世代がどうとかはあまり関係なくて、いわゆる「会社」で働くことがあまり向いていない人なのかも知れない。

 

幸いにして僕は良い先輩方に恵まれ、今度の社員旅行を大変楽しみにしている。

 

僕はまずここで、人付き合いを学ぼう。